2015.8.25 まちとまなざし 
A Day In The Park

kyanal

 

坂本龍一に「A Day In The Park」という曲がある。95年のアルバム『SMOOCHY』の最後に収録されていて、公園でのさりげない日常が、この上なく洗練されたかたちで音楽になっている。キャナルシティで映画を観た帰りがけに、水遊びに興じる子どもの声を聞いて、この曲を思い出した。

キャナルがオープンしたのは、『SMOOCHY』が発表された翌年96年である。オープン時は凄まじい盛況ぶりだったと聞く。キャナルは祝祭空間として設計されたそうだ。お祭りに行った際、祭りの熱に浮かされてつい出店で買い物をしてしまうように、キャナルの祝祭性・非日常性を通じて消費が促されるのだ、と。

もっとも、その祝祭性を彩っていたのは、大道芸人らによるパフォーマンスだけではないだろう。ファッションや生活用品、映画や観劇、家族の食事まで、商品に限らない様々な消費ができるショッピングモールの特性を十全に備えながら、巨大な吹き抜け&運河など無駄が多いように見える空間の中を、うねうねと混乱を招くような導線で回遊させることで、「意図せぬ出会いに満ちた多様な消費活動」そのものを祝祭として演出。そうやって、福岡のローカルな日常の只中に、グローバルな消費社会を非日常として立ち上げる。今年亡くなった設計者ジョン・ジャーディの意図は、そんなところにあったのだと思われる。

それから20年。私たちの暮らしは、その構造が大きく変わった。グローバル化したライフスタイルが私たちの日常であり、その基盤の上に、特殊で先鋭化されたローカルが非日常として立ち現れてくるようになった。「地域ならでは」の催しや特産品、東京から福岡への、福岡市内から更なる周縁への好奇のまなざしなどなど、枚挙に暇はない。

キャナルの内側でもたらされていた非日常は、福岡の日常へと世俗化された。端的に象徴するのは、ナム・ジュン・パイクだろう。設置当時にあっては、youtubeやニコニコ動画の隆盛を恐るべき精度で予見していた彼の作品は、まさにその精度ゆえに、今日では見慣れた光景のひとつとなった(もはや珍しくもないので、広告の垂れ幕で覆い隠されてしまっているほどだ)。キャナルはもはや非日常ではなく、私たちの日常の延長線上にある。

そんなまなざしを受けて、キャナルは別の相貌を見せはじめる。キャナルの水辺には、水遊びをしにきた親子をはじめ、日本人のみならず、韓国や中国の人々も多く集っている。現実の「公園」が、安心安全を求める地域住民の声を通じてセキュリティを強化する名目で、(人種問わず振舞いのレベルでの)ストレンジャーを排除する傾向にある中で、むしろキャナルのフロアが、公園のような不思議な公共性を帯びつつある。まさに坂本の「A Day In The Park」がしっくりくるような。

なお、このタイトルは、ビートルズの「A day in the life」のパロディだろう。もっとも、ニュースを読んでたらいつのまにか非日常にトリップしていくビートルズのそれに対し、坂本のそれに非日常への移行はない。穏やかな日常を見守るまなざしが、次のように歌われている。

 

STOP,BABY LOOK, BABY DON’T GO

I AM THE ONE WHO REALLY LOVES YOU

STOP,BABY LOOK, BABY DON’T GO

I AM THE ONE WHO’S THINKING LOVE YOU

I KNOW WHAT YOU’RE THIKING BABY

I KNOW THAT YOU WANT TO GO

BUT BEFORE YOU MAKE THE MISTAKE

OF WALKING OUT LOVE’S DOOR YOU’VE GOT TO

 

君がどこに行きたくて、どんなことを考えてるのか、僕は知ってる。君のことを本当に気にかけているのは、僕なんだ。配慮が行き届いた人工的環境を通じて、心地よく快適な日常が実現している。私たちに向けられたキャナルのまなざしは、こんな感じなのかもしれない。

※対岸からのキャナルシティの写真は、佐々木悠史さん(NPO法人アカツキ)の撮影による。本稿は、佐々木さんのこの写真に示唆を受けて書かれた。多謝!




山内泰


NPO法人ドネルモの代表です。人と社会のあいだに、新しい関係を見つけ出すことで、「あったらいいな」をかたちにする活動をしています。
http://donnerlemot.com/