2017.5.4 そこに流れる音楽 
デビッド・バーンが語る 音を鳴らす“場”の話

不定期の登場でございます、ライター橋口です。久々の登場となりました。
音楽好きな男の独り言、しかも今回は正に“他人の褌を借りる”内容で恐縮ですが、ひとつお付き合いください。

 

私みたいな奴は音楽が好き過ぎるからか、ついつい当たり前のこと過ぎてみおとしがちなのですが。生演奏でも、放送でも、音楽ではなくて日常の音も含めて。音自体とその音が鳴る、広がっていく場、もっと具体的に言うと音が響く建築やその場所の環境は、とても深い関係があります。(まず先に申しておきます。本来なら音響が必要な建築の設計とか、音響の技術の知識とかある方が書くべき話題かと思うのですが、私はただの音楽好きで何も知識がございません。これから書く話は専門的な深みは全くありませんので、ご了承ください。)

 

例えば、鼻歌程度でも良いんです。歌ったり楽器を演奏したことがある方ならば、例えば身近な例で言うとお風呂場とか、階段の踊り場とか吹き抜けとか、ちょっと音が響いたりすると気持ち良かったり、逆に反響がきつくて自分の演奏の音を判断し辛かったりした経験はあるのではと思います。
もちろん音楽じゃなくても良いですよね。例えば観光で洞窟やトンネルなどに行った時、怒られない程度で「おーい」と言って遊んだり…閑話休題。
 

話を戻します。僕みたいな、本当に下手の横好きで音楽をかじっていた素人でもそうなので、当然プロの演奏家やサウンドクリエイターの方々は、音が鳴る場所、演奏する場所についての哲学があったり考察があったりするわけですね。
そこで、今回紹介するのは音楽と建築など音を鳴らす“場”についての講演です。デビッド・バーン。70年代中盤のNYパンクやニューウェイブのシーンから登場し、80年代にはリズムを追求、当時の動向だったワールドミュージック的要素も積極的に吸収する豊かな音楽性を誇ったバンド「トーキング・ヘッズ」の元リーダーであり、バンド解散後もブラジル音楽の紹介や映画サウンドトラックのスコアの制作など、過去の範疇に囚われないユニークな活動をしている方です。そのバーン氏の講演が、優れたプレゼンテーションやスピーチの紹介で知られる「TED」のサイトにて公開されています。タイトルは「いかにして建築が音楽を進化させたか」。

興味深いのはバーン氏のプレゼンテーションなので、是非そっちを!ここからはオマケみたいなものとしてお読みください(笑)

 

バンド時代初期のライヴハウスでの体験(NYパンクの伝説のライヴハウス「CBGB」も!)から、演奏場所が少し大きなホールなどの場所になった際に、このままでは思った通りの音にはならない実体験も持つバーン氏。そもそもどんな場所で演奏するかは、とても重要なファクターではないかと彼は投げかけます。

 

例えば野外で演奏されるアフリカの音楽は、電源による増幅も無いのに生音が大きく、打楽器中心で草原の遠くまで聞こえる。その状況に対して完璧であることを説明しています。もちろんアフリカの場合は、音楽そのものよりも、音自体が「信号」「伝達」「祭事」としての意味合いも強いのでしょうが、「草原」という音が遠距離まで届く環境、景観が存在し、その中で音を鳴らす側も、遠くまで届くことを意識した、そこから楽器やリズムが発達したのだろうという論旨は大変興味深いです。

 

また教会の音楽は、リズムは無いけれども長い音が多く、音響や反響が音楽に生かされていくこと、そこで演奏すると、音楽そのものが価値あるものになることを紹介しています。教会だけで限定しても、例えば巨大な仕組みをもつホール用のパイプオルガン、聖歌を歌う大編成の聖歌隊など、配置され演奏されていく様が思い浮かびますよね。音響や反響が生かされるわけですから、当然建築物の天井はより音が響くように高く、壁面も工夫されていきます。
大規模なオペラやクラシックを演奏するホールは、その傾向が更に顕著になります。舞台で役者がオペラを華麗に歌い、オーケストラ楽団が演奏する。そのような状況では建物そのものがそれに適したものであり、更に魅力を引き出す。音楽にとって絶対不可欠な存在となっているわけですよね。
実際に場の力というか、演奏する側も聴く側も、重厚かつ豪華な音楽の「殿堂」ともよく称されるホールや劇場に憧れ、そこに立ちたい、そこで聴きたいと願います。音の贅沢を極めた荘厳な場内は、演奏者や観客にとって最高の風景、景観…というのは、ちょっと言い過ぎでしょうかね。

 

慣れてないと緊張しますけど、大きなホールや劇場が持っている存在感は、やはり重厚かつ格別です。音楽を鳴らす「場所」が最も重要だった時代とも言えます。

 

バーン氏の話は進み、ラジオやそれに応じた技術進化による音楽の変化(音声を録音できる=レコードの登場、小さい音や声でも拡声効果によって表現できるようになった=マイクとアンプによる表現方法、レンジの拡大)が進むと、少人数でも大規模な観衆の前で演奏ができるようになりました。
それまで栄華を極めた音楽用の建築に代表される、音楽を鳴らす場所の様式やイメージも、ここで大きな変化を迎えます。ホールや劇場クラスの大きな会場や、音響の設備を備えた場所でなくても、音が鳴らせるようになったのです。
野外でも、スポーツ用のアリーナ、スタジアムや、小さいビルの一室など根本的に音楽用につくられていない場所でも、マイクとアンプに代表される機材を使えば、どこででも音が鳴らせるようになります。

 

「電気増幅」や「アンプリファイド」なんて言うと難しいですが。拡声器と考えればわかりやすい。音を“拡声”できる技術は、パフォーマンスや記録技術も“覚醒”し、音を鳴らす場所をもっと小さく、あるいは大きく、身近にしました。

 

また生演奏に頼らずとも、レコード、CD、テープなど記録メディアがあれば、より手軽に音楽を流すことができるようになります。
技術の革新により、音楽では屋外やスタジアム級の会場で演奏する文化、そして音楽ソフト自体の再生技術の発達により、演奏用の機材の無いフロアでも盛り上がれるディスコ、クラブの文化など、新たなシーンが生まれます。建築、空間が音楽とともに、シーンやムーブメントまでを産むという論旨です。ここまで来るともうどちらがどちら、どっちが先かと言う論旨はちょっと無理があるかな?と言う気もしますが(笑)音と、それを鳴らす場所が、密接な関係があるのは十分に理解できます。
観客の目線で少し見てみますと、音楽を楽しむ場では、例えば会場の壁面などに催しの告知のサインが出されていたり(ツアー名などイベントのタイトルや、出演者の写真のポップなど)、客席や物販会場への誘導サイン、そしてそこに並んだり自由に過ごしていたりする観客の姿など、イベント当日にしか無い景観が登場し、来場者はそういった自分たちの居る雰囲気や眺め自体を楽しんだり、記憶に残したりしています。
もちろん周辺にはイベントに関係のない方々もいらっしゃるので、来た人はルールも守って…と言うのは別の話ですね、大事なことですけども。

 

イベントとしての側面も大きい音楽体験。近年ではステージ演出などもさまざまで、音そのものだけでなく視覚的な体験も比重が高く、より記憶に残そうとしている印象が強い。

 

前段で出て来たイメージも少し被るのですが、音楽にはエンタテインメント、興行的な側面もあります。集客や収容人数のことを考えるとき、例えば東京ドーム、日本武道館などでの演奏は、アーティストにとってはかなりの成功を意味する演奏場所となります。しかし、音楽自体の響き、良し悪しを考えるならば、別の価値観による選択もありえます。
バーン氏の話には興行的な要素はほぼ出てきませんが。リスナー側、聴衆者側である私たちも、無意識に「あの場所は音が凄かった」「なんとなく遠く聴こえた」などの記憶を持っている気がします。もっともコンサートに夢中で、音のことなど覚えていないことも多いですが、実際は演劇での表現などもあることを考えると、その場所で、適切な音を鳴らすこと。その美意識や姿勢は、音楽の表現に、深く関わってくるものでしょう。
そしてそこで表現者たちが最適な“音”を鳴らすために選んだ場所や雰囲気、風景を含む景観は、体験した観衆の記憶にも強く残ります。野外のロックフェスティバルで泊まったテントからの朝日の眺めも、小さなライブハウスで演奏して無残に散った夜の路地の風情も、音楽が印象的だったのと同じぐらい、覚えているのではないでしょうか。

 

バーン氏は最後にある鳥の話をします。環境に合わせて囀る(さえずる)鳥のように、鳴る場所、響く場所の環境に応じた音楽をつくることが、いかに創造的であるか。人間だけじゃないんだよ、と言われているような気がして、とても印象に残ります。
僕らは音を鳴らす場所やシーン、景観に応じた音を楽しめているのかな。楽しんじゃおうかな、と思った次第です。




橋口勝吉


1969年 宮崎県出身 情報誌や専門誌(音楽、演劇など)のライティング、編集、新聞記事執筆、広報業務などを経験。現在はCRIK副理事、専門学校非常勤講師(2001年〜)、コミセンわじろ地域活動応援課主任(2012年〜)