2015.5.1 そこに流れる音楽 
ジャズが似合う時、場所、建物

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(ジャズ喫茶は好きですが常連通いの経験も無く、ましてやお酒もたしなめないというヘタレな筆者ですが。どうぞご高覧ください。)

珈琲と煙草で、店内全体がくすんだ印象の喫茶店とか、あるいは強めのお酒が並ぶ、長いカウンターとストゥールがあるバーは、願望でしかないけれどもジャズが鳴り響いていて欲しいと思う。イメージする時間は、夕方6時ぐらいから深夜まで。
今でもたまにある、店内BGMとして歌謡曲まで流れるFMやAMラジオというのも、世代的には懐かしくはあるけれど。やっぱり控えめな音量でジャズとか、イージーリスニングとかクラシックが流れていたら落ち着く。90年代に再評価されたラウンジ的な雰囲気と言うか。

筆者は40代後半で、子どもの頃のテレビや映画の中から、ジャズ的な音楽に親しんだ世代です。刑事モノやアニメ、コメディやお笑い番組の中であるときは華麗に、あるときは緊張感の演出に、あるときは哀しみを表現する劇伴(BGM)として流れていた音と、そこに描かれていた世界観に憧れる。そんなところから、「大人の世界」がちょっと見える。田舎者ですから『東京ってこんなところかなぁ』『ハードボイルドってタマゴの茹で方なんだってさ』とか言っていたことが懐かしい世代です。

そんな個人の話は置いといて、ちょっと引いた目で見ると。日本人はジャズが大好き。本場アメリカから世界に影響を与えたジャズですが、日本では戦後の開放感を反映した音楽として流行しました。今ではちょっと考えられないですが、実は60年代までは「演歌じゃない流行歌は、全部ジャズと呼ばれていた」というぐらいの勢い。モダンで垢抜けている音楽の象徴であり、海の向こうではロックンロールが流行っても、まだまだジャズ。そしてその日本のジャズの演奏の分野で腕を鳴らしたプレーヤーが、ピアノの筒美京平(青山のオスカー・ピーターソンと呼ばれていた)や大野雄二。そうです、70年代にモダンな音楽を量産した歌謡曲や劇伴のスーパークリエイターとして、巷に流れる音の一部となっていきます。

 

話を戻して。先日、福岡市役所の1Fで行なわれていた「明日の建築と都市展」を拝見しました。都市景観賞創設時の審査委員長である故・光吉健次九州大学名誉教授の回顧展です。先生が手がけた、1960年代からの代表的な建築作品が模型や青焼図面と共に展示されています。その現場の片隅に、小さい音ですが緊張感のあるモダンジャズが流れていました。観ている人間を邪魔しない程度の音量でしたが、それがとても場の空気と合っていました。

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戦後の一時代を築いた丹下健三の門下生として新しい建築の系譜を引き継ぎながら、九州の地にて挑戦を続けた光吉先生の作品と、ブルーノート、プレステッジなどの新興レーベルが牽引し、プレーヤーたちが奏でる野心的な音で世界にその価値を問うた50年代、60年代のジャズ。革新の時代の中で切り開いて来た真剣かつ痛快なイノヴェーションの魂が、共鳴しているように聴こえたのは気のせいでしょうか。私にはとても響き合っているように感じる空間でした。

ジャズという、時には陽気で、時には真剣で、消費されてしまうことに抗う音楽。それでも聴き流されてしまうことはもちろんあるけれど。オンエアしている方も、聴いている方もピタッと止まって確認してしまう音楽。日常の生活から少しだけ、特別な場所へ連れて行ってくれる音楽。それはものづくりの現場でも、とても示唆的な存在となって私たちのそばに流れています。

老舗のコンボはもうないけれど、ニューコンボとか、ブラウニーとか、リバーサイドとか。ジャズ喫茶はまだあったりします。久しぶりに行ってみようかなと。
音楽と空間を楽しめる、大人の時間を過ごしに行ける、そんな人になりたいです。




橋口勝吉


1969年 宮崎県出身 情報誌や専門誌(音楽、演劇など)のライティング、編集、新聞記事執筆、広報業務などを経験。現在はCRIK副理事、専門学校非常勤講師(2001年〜)、コミセンわじろ地域活動応援課主任(2012年〜)