2017.1.9 マチノキモチ 
地域と生きる 地域に暮らす

前回2回に渡って地震後の街と建築、そしてボランティアについて書いてきました。
今回は、私たちが社員旅行で行った熊本山鹿をレポートします。

 

去年の夏、復興の手助けも含めて社員旅行は熊本にしました。山鹿という温泉街1泊2日の旅行。
今回の話題はそこで出会った「八千代座」という建築と地域のつながりについて少し書いてみます。

 

まずは「八千代座」について

1910年、山鹿の旦那衆が組合を作り、町の繁栄を図るために1株30円の株を募って建てた。設計者は回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎。当時の山鹿は菊池川の水運、豊前街道を利用した水陸交通の要所で、物資の集散地、屈指の温泉場として賑わっていた。同年10月上棟式、12月竣工。その後、歌舞伎、浪花節、活動写真、新劇、邦楽やクラシックのコンサート、小学校の学芸会と様々な催しものに利用された。昭和になると第2次世界大戦を経て、人々の嗜好の変化、映画からテレビと娯楽の変遷があり1973年(昭和48年)の老人会の総会を最後に八千代座は閉館。1989年(平成元年)から一般公開が始まり、1996年(平成8年)、平成の大修理が始まり、(2001年)平成13年5月、竣工式が行われた。(wikipediaより抜粋)

 

八千代座は元は「町の繁栄を図る為」様々な娯楽・芸能の発信基地でした。ここでは、日本を代表する歌舞伎役者が演じる事と、小学校の学芸会が同時に行われていた事が興味深く感じます。

例えば福岡で言えば、ホークスの聖地「福岡ヤフオク!ドーム」で小学校の野球大会が開かれるようなことで今ではありえない様な気前のいい使われ方です。

 

そしてこの建物の資金は、ほとんどが町の名士達によって援助されたものであった事も現在と異なる点であると思います。公的な支援ではなく、町の人々がそれぞれ少しづつ援助し「町の繁栄を図る為」に何かを行っていく。現代の様に、行政が何かしてくれる、サービスを充実させてくれる、といった期待ではなく、自分達が「地域のために」何かを行っていく事で、自分の街に誇りを持つことができる時代。100年前の生き方が現在の地域の在り方にヒントを与えてくれた様に思います。

劇場内部に入ると、自分達が建てた建物だという事を言わんばかりに、壁や天井には、自分達の店の広告や電話番号など(復元されたものではありますが)が描かれ、空間に賑やかさを添えています。

天井の板の図柄

劇場全体

こんな場所で子供の頃から芸能に接し、当たり前のように歌舞伎役者と同じ舞台に昇れる事こそ、この町で育った子供の特権なのかもしれません。そして大人になった時、その恵まれた環境に気が付き、その地域に誇りを持つ事ができる事でしょう。

この例のように、建築はそれだけでは、あまり力の無い存在かもしれません。その地域の人たちに求められ、子供達が大人になっても誇れる場所こそが、建築として残り、ひいては地域の景観をつくっていくものと言えるのではないでしょうか。

舞台より劇場を見る

今後少子化である日本は、地方人口がどんどん減っていく事でしょう。その中でそれぞれ現状より生活レベルは伸び得ないかもしれません。しかしながら地域で暮らす「質」については、八千代座の様なシステムを生み出す事で良い方向に向かうのではないかと思います。
「町の繁栄を図る為」に一見すると得のない「ボランティア」に見える行為こそが、自分達のマチの誇りを取り戻す事につながると感じています。

 




アトリエサンカクスケール


建築や街をイロイロな尺度で捉えなおし、計りの異なる人同士がアイディアを出しながら1つの建築をつくりあげていく設計集団。
尺度が異なれば、新しい愉しい事が産まれるコトを念頭に、身近な生活からまちづくりまで考える。
http://www.a-sansuke.com/