2016.12.19 古写真・観光絵葉書にみる福博景観史 
古写真・絵葉書を活用する

私は2001年からアンティーク絵葉書の愛好家が集う研究会に参加していますが、多くの参加者がそれぞれの研究分野で本を出版していますし、会長の平原健二さんは某鑑定番組の常連依頼人です。私自身も社史や記念誌の編纂などに携わってきた経験があり「資料は集めるだけでなく活用してこそ意義がある」という意識を強く持って活動しています。
今回は、私がこれまでに関わった書籍やテレビ番組などにおける古写真・絵葉書の活用事例の一端をご紹介します。(文中の絵葉書・古地図はすべて筆者所蔵)

 

絵葉書の場所をたどる番組

活用事例で多いのは町の歴史を説明する場合です。書籍や新聞紙面などに限らず、テレビ番組でも「○○が写っている写真を探している」という相談が最も多く、ロケ先の歴史や出演者の経歴を説明する際に使用されるものです。そんな中、絵葉書に写っている情報そのものを番組のコーナーにしたい、という番組が2008年頃から増えてきました。FBS福岡放送で今春まで放送されていた「ナイトシャッフル」では、「記憶探偵」シリーズと題して33話が放送され、私は担当ディレクターさんと一緒に絵葉書・古写真から毎回面白い題材を探し出して、番組づくりに関わる機会をいただきました。

 

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大正8年頃の二代目博多駅

 

1枚目は1909(明治42)年に竣工した二代目博多駅のカラー着色絵葉書です。2008年2月に放送された「記憶探偵」シリーズ第1話で、この駅があった場所を探しました。さらに第2話では戦前の福岡市動物園があった場所を捜索、番組では私が提供した画像を拡大してフリップとして使用し、ロケ終了後には跡地にある馬出小学校の教頭先生(当時)からの要望で写真フリップをそのまま進呈。その後、福岡市が新たに設置した案内板にも使用されています。この放送後、馬出小学校と動物園の関係を取り上げる番組が続き旧正門の知名度が増しました。

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戦前の福岡市動物園の絵葉書シリーズから正門(昭和12年頃)

 

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福岡市動物園のアシカプールと浮見堂(左)

 

戦時下で閉園に追い込まれた福岡市動物園、浮見堂は大濠公園へ移設されて健在です。アシカのプールは教頭先生の証言では当時のまま池として遺るとの事でしたが、実際には跡地に移転してきた福岡中学の周年行事で池は同じ場所で新設されているとの事で、当時のものではないようです。

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西公園から博多港や市街地を望む(大正8年頃)

 

4枚目と5枚目は西公園から博多港や福博市街地を眺望した絵葉書です。2010年春に放送されたフジテレビ開局50周年ドラマ「わが家の歴史」第1話は戦災から復興する福岡市が物語の舞台でした。実際には福岡市でロケを行うわけではなく、関東周辺でのロケ地探しやセット組みの参考になる資料が欲しいとの事でしたので、脚本家・三谷幸喜さんの台本の設定を部分的にチェックさせていただき、終戦直後や復興期の福岡市の資料を提供しました。

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昭和20年代末の西公園から博多港と市街地眺望

 

主人公とその家族は冒頭で姪浜に住んでいる設定があり、台本では「復興する博多の市街地を愛宕山から眺めつつプロポーズ」するシーンもありました。福岡在住者なら当然突っ込むであろう「愛宕神社からは博多も天神も見えませんが」という返答をして、西公園からであれば成立する旨を伝え、西公園の眺望写真を20点ほど時系列で揃えて提供し、ロケ地が関東の西公園っぽい場所になりました。

このドラマの中では他にも複数ロケーション協力をしています。ちなみに番組に連動して番宣放送された「世にも奇妙な物語」では、ドラマの脚本執筆中にホテルに缶詰となり、上記西公園でのシーンでセリフが出て来なくて悩む一場面を、三谷幸喜さんご自身が初主演で「台詞の神様」として短編ドラマ化。ホテルの部屋で三谷さんの机に広げられている古写真や絵葉書、資料本はすべて私が提供(貸出)したものです。
この余談には続きがあり、2015年にNHK「ブラタモリ」で私が案内人を務めさせていただきタモリさんにお会いした際に進呈したのが、このドラマで三谷さんが小道具で使用した「博多の昼と夜」という大人向けの観光ガイド本でした。「世にも奇妙な物語」はタモリさんが進行役ですし、昭和46年版ということでタモリさんが福岡在住時の全盛期のお店などが多数紹介されているので、少しは喜んでもらえるかと思って進呈した次第です。

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第13回九州沖縄八県連合共進会に出展された博多大仏(明治43年)

 

KBC「ドォーモ」の「辿る男」シリーズでは、上の絵葉書に写る「博多大仏」を取り上げ、鋳造所の名を取って別名「磯野の大仏」とも呼ばれた大仏の数奇な運命を辿る企画も行いました。東区馬出の称名寺境内には、この博多大仏の台座だけが遺っており(大仏は戦時中の金属回収で接収)、写真を持って称名寺に協力願いに伺ってみると、副住職はKBC出身というご縁もありました。また「磯野の大仏」から連想して、サザエさんの磯野波平のモデルが一文字違いの「磯野七平」ではないかという疑惑まで発展するなど、毎回絵葉書の範疇を超えた展開が起こりました。

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天神交差点に設置された福岡市初の信号機(昭和5年)

 

KBCドォーモでは今秋放送された「ドォーモ北九州EXPO」での「今と昔謎解きラリー」にも企画協力させていただき、上記の「天神交差点に設置された信号機」を例題として番組で体験してもらいました。
スマホのアプリとGPSを使った謎解きラリーはNHKブラタモリと同様に「その場所に痕跡がある」事が必須なので、問題づくりに苦労しましたが資料活用という視点では貴重な経験でした。
KBCさんは開局60周年記念映像作品「福岡天神時間旅行(タイムトラベル)」にも企画成立前から参加させていただき、台本監修やロケーション協力だけでなく、昭和13年当時の天神交差点付近の町並みと電車をVFXで再現するという試みでも貴重な経験をさせていただきました。当時の写真の多くはモノクロですが、VFXでは当然ながらカラーの資料や情報が必要です。さらに道路や電柱、看板などの色や素材質感などを再現するための資料集めは大変でした。

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開店直後の岩田屋と天神交差点(昭和12年頃)

 

上の天神交差点を望む絵葉書がVFX再現のメイン構図のモデル写真でしたが、最初に完成してきた再現映像では「絶対に有りえない」まさかの間違いがあって、しかもそれはそのまま映像作品をPRする先行動画で放送されてしまいました。
電車や自動車は日本では今も昔も「左側通行」ですが、最初に完成した映像ではなんと対向二車線の左側を電車が右側通行で進み、画面手前に向かって来るのです。さらに、主演の牧瀬里穂さんが天神電停から電車に乗り込むシーンでも、岩田屋を背景に電停から乗り込む構図でVFXが制作されており、背景を活かしつつ当時の正確な乗降シーンになるように知恵を出し合って難局を乗り切りました。同様に電車内の会話シーンでも、すでに完成した背景VFX映像(車窓風景)を再編集してもらい、可能な限り実際の沿線風景に近く見えるよう、映像と音で補完してもらいました。

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ブラタモリでも採用された大正末期の天神交差点絵葉書(大正15年)

 

天神が九州一の繁華街に発展してきた理由は色々と考えられますが、明確に言えるのは福博電気軌道)(現・明治通り)と博多電気軌道(現・渡辺通り)が明治末に開通して、天神交差点が生まれたことでしょう。
NHK「ブラタモリ #18 福岡と鉄道」編の依頼を最初にいただいた際は、博多で1回、天神を中心とした福岡で1回まとめられないかという漠然とした要望でした。私の収集した膨大な資料群を見せつつの数回のブレストの中で「交通」をテーマにする事が決まり、全体のコンセプトとして「タモリさんの地元でタモリさんのルーツを探りつつ喜ばせる」事になりましたが、ブラタモリ特有の条件である「痕跡」が壁となり、なかなか全体のストーリーが完成しませんでした。
そこで私が提案したプロットは「タモリさんが上京した昭和50年に絞る」事でした。これはオンエアされた本編や、角川書店から刊行されている書籍「ブラタモリ4」でも触れられていない事です。つまり、タモリさんの鉄道趣味のルーツのひとつである薬院踏切の福岡市内線の路面電車と西鉄大牟田線(当時)の平面交差が無くなったのも、大牟田線に西鉄電車の象徴であるアイスグリーンの車両(5000形)が登場したのも、福岡市内線の一部廃止も、西鉄バスの象徴である「赤バス」の登場も、新幹線が博多まで開通したのも全て昭和50年の出来事なんです。
飛行機嫌いのタモリさんは必ず開通したばかりの新幹線で上京したであろうという仮説を立てて、鉄道趣味のルーツから出発し、タモリさんが上京時には存在しなかったアイスグリーンの西鉄電車で福岡(天神)へ移動し、タモリさん在福時には健在だった福岡市内線の痕跡さがしの旅に、タモリさん上京と時を同じくして登場した赤ラインの西鉄バスで出かける。目的地にはタモリさんが慣れ親しんだマルーン塗色の313形電車が待っているという流れです。

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東公園付近の専用軌道(福岡市内線貫通線、大正5年頃)

 

さらに、これも番組や書籍内ではさらりと紹介されていますが、ご存知の方も多いように西鉄313形は「日本初のモノコック構造の鉄道車両」です。軽量かつ頑丈という航空機の製造技術を初めて鉄道車両に採用して開発され昭和27年に登場した313形は、タモリさんが新幹線博多車両基地で「再会」する0系新幹線の原点的な車両でもあるんです。

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山陽新幹線が博多まで開通した当時の博多駅周辺と0系新幹線

 

実は313形車両はロケの時点で解体される事が決まっており、最後の勇姿を映像に止めることになりました。原点車両を確認したあとに、福岡市発展の一大転機となった新幹線開通の主役である0系新幹線保存車両と、歴代の車両たちに会いに行くという流れは自然で、西鉄さんやJR西日本さんの全面協力で素晴らしい内容でオンエアされました。タモリさんが「そうか、俺は開通したばかりの新幹線に乗って上京したんだった」という意味の発言をされた時は本当にバンザイしたい気持ちになりました。
プロットを提案する際、絵葉書や古写真、古地図を最大限に有効活用できてそのまま台本の下地にしていただけたのは、それまでに200件以上の映像番組お手伝いの経験蓄積があったためでしょう。

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大濠公園整備前、東亜勧業博覧会会場全景(昭和2年)

 

私は現在、NHK福岡の番組「はっけんTV」の火曜日「ふくおか再発見」コーナーで、絵葉書や古写真を活用したタイムトリップの案内役も経験させていただいております。毎回テーマを設けており、11月は「大濠公園」を取り上げていくつかの絵葉書を紹介しました。
上の絵葉書はそのうちの一枚、大濠公園整備実現に役立った昭和2年の東亜勧業博覧会の全景絵葉書です。現在の大濠公園の西側埋立地を博覧会場とし、会期終了後に宅地として販売することで公園整備費用を捻出したのですが、この絵葉書をみると公園の東側はまだ埋め立て整備の真っ最中です。
大濠公園の整備に絡めて、城南線も整備されて六本松経由で西新までの路面電車も開通し、福岡市の西南部開発のきっかけになったのが東亜勧業博覧会でした。博覧会の大成功により、それまでなかなか進行しなかった周辺町村の合併が加速し、福岡市は市域・人口ともに急拡大していきます。
絵葉書はその時代の最先端の景観を収めたものですが、文章で解説すると難しいところを補足して有り余る存在であることを実感できる一枚です。

 

絵葉書にはたった一枚でも通説を覆すチカラがあります。次回は「研究解読が必須の絵葉書」です。

 




益田啓一郎


企画&執筆業の傍ら、古写真・アンティーク絵葉書や鳥瞰図絵師・吉田初三郎の研究など、景観や世相をテーマにした著作や写真集を多数編纂。昭和画像アーカイブ運営、NHK「ブラタモリ」など番組企画監修も多し。にしてつWebミュージアムの企画構成、博多カレンダー委員、博多祇園山笠西流五十周年史編纂委員ほか。