2015.7.20 家族の風景 04
風景デザインから「まちづくり」へ

環境を物理的に操作する「風景デザイン(=景観デザイン)」だけでなく、環境の意味づけをする(意味を変える)「風景デザイン」に取り組むべきではないか ― 当時、そのように感じた理由はいくつかあります。

まず、これから自治体は財政が厳しくなり、人口も減ります。一方で、高度経済成長期以降、公共事業という名の経済振興システムは、たくさんの土木構造物や建築を生み出してきました。したがって今後は、なるべくお金をかけずに課題を解決するための方法や、構造物・建築のメンテナンス・再活用のニーズが増していくだろうと考えました。

つまり、「新しくつくる」というお金がかかる方法よりも、既存の環境から豊かな意味を見出したり、新たな「意味づけ」をする技術や知恵が要求されてくると考えました。

さらに、モノが増えるとコモディティ化(差異がわかりにくい状態)が顕著になります。つまり見えているもの(物理的なもの)での差異化が困難になってきて、「見えないもの(意味や物語など)」で差異化を目指す動きがさらに大きくなります。

特に、民間と違って公共の領域は、インパクトある取り組みがしにくかったり、なかなかやり直しがききません。多くの人の合意や倫理性に重きを置く傾向にあり、だからこそ、物理的な環境変化ではなく、(リスクが少ない)意味的な風景変化をもたらす技術が必要になると気付いていきます。

そういうこともあり、今(つまり16年前くらい)は、民間の技術である広告等の意味づけ(=情報のデザイン)の技術が、今後は公共の技術としても必要になってくるだろうと考えました。

公共の領域(特に行政)において、「景観デザイン」だけでなく「情報のデザイン」に問題意識を持ち始めたのはこの頃です。行政がつくる各種メディアにデザインが行き届いていない課題に、グラフィックデザインや広告分野からではなく「風景デザイン」という観点から、辿り着きます。

正確には「ダサい!」と感じていました。今でこそ必ずしも「かっこよさ」は重要でないことや、プロパガンダのように、行政が「上手なデザイン」を携える怖さは理解できますが、当時は、表現含め、行政の取り組みがもっと、かっこよくあるべきだと感じていました。

 

triviaを始めてしばらくして取り組んだ「.F ドットエフ」プロジェクト(2001-09)。文化人類学、文学、宗教学、哲学、画像設計などを学ぶ学生たちとはじめた、福岡の音楽シーンを発信していくプロジェクト(ぼくも当時は学生)。ウェブサイト、フリーペーパー、ラジオ、イベント等、多様なメディアを用い、アソシエーションをつくっていった。ぼくはウェブデザインと全体のマネジメントを担当。行政にはできない「かっこよさ」と景観デザインにはできない「風景デザイン」を強く意識していた。

 

その他にも、住民参加型(この言葉はあまり好きではないですが、実際そう呼ばれていたので)まちづくりの広がりや、インターネット、パソコン/携帯端末の普及など、「意味づけ」のための基盤がかたちづくられていく実感もありました。

しかし、これらの理由が、ぼくが活動に至る直接的な動機になったかというと、そういうわけではありません。あくまで「意味づけ」の風景デザインがこれから重要になる社会的な理由として受けとめていただけです。

そんな中、活動しようと決意させたのは、前回書いたように、「橋の下」が物理的にデザインされていなかった事実に気付いたこと。そして、久しぶりに訪れた「橋の下」で、忘れられない印象的な出来事に遭遇したからです。それについては、次回書きます。

そしてもう1点。物理的につくるスキルと、意味づけするスキルは、両方携えておきたいという強い思いがありました。自分が持っているスキル(自分の都合)によって、まちの課題の見立てや発想の範囲が限定されることへの強い懸念があったのです。

例えばぼくが建築家だったら、物理的に建物を建てたいと感じる機会が増えるでしょう。それが必要ないとしても。

まちの課題に対して、自身のスキルである建築に引き寄せ、建築のレベルで語りがちにもなるでしょう。本来は、別のところに課題があったとしても。まさに、今の国立競技場の問題のように。

 

もちろん、建築家をはじめとした専門家が必ずそうだというわけではありません。

ただ、まちの課題を、生身の人間(ぼくはこの状態を「住民」と呼んでいます)として捉えるとともに、自分の都合ではなく、そこに身を置く当事者の立場から「何をするか=手段」を見極められる状況に「限りなく身を置きたい」と考えていました。

そして、「つくること」「意味づけすること」だけでなく「何もしないこと」も必要であると、川辺川ダム問題をはじめとした大型公共事業から強く意識するようになります。

なので当初は「風景デザイナー」という立場にこだわり「専門性を持たない」ことを志向しました。そこで、物理的につくるべきであればつくるし、つくるべきでなければ、やめるし、意味づけが必要であれば意味づけを。そういうことを目指していました。

 

その後、徐々に、自分の実践を「風景デザイン」ではなく「まちづくり」と位置付けるようになります。

「風景デザイン」という言葉の馴染みのなさから、当事者との距離を感じる機会が少なくなかったからです。そしてその名称にこだわること自体が自分の都合であることに気付く機会もあり、馴染みがあって、だからこそ誤解されがちな「まちづくり」という言葉を掲げ、活動していくことになります。

たとえば、「まちづくり」と言うと「まちのため」に活動していると思われがちです。また、経済的な活性化の文脈でのみ「まちづくり」を位置付けたり、最大公約数的な合意形成のみが目指されることが少なくないです。

次回に詳述しますが、ぼくが大事にしたい姿勢は、そのどちらでもありませんでした。

そのぼくみたいな人間が、あえて「まちづくり」と唱え続けることに、意味があると考えるようになります。

 

figure02

「オモイデアンケート」プロジェクト(2000-現在)。周囲に個人的な「想い出」を尋ね、それを取りまとめてフリーペーパーとして発行することからtriviaはスタートしました。「まちづくり」という名の下で大切にしたかったのは、あくまで「個人的な風景」でした。

 

 

つづく。




田北雅裕


九州大学の教員です。
そのほかに、SOS子どもの村JAPAN 広報アドバイザー、ALBUS ディレクター、糸島市 市政アドバイザーなどもしています。http://trivia.gr.jp