2015.6.22 家族の風景 03
風景って、デザインできるの?

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この時分はいいですね。日暮れ時のやわらかい風、かすかな虫の声、夏のにおい。
「あぁ夏だな」って、季節が始まる感じの、あれです。正体は分からないけれど、何だかなつかしい。その気持ちをゆっくり鼻から吸い込む時間が、とても好きです。

ぼくが過ごした橋の下の風景は、この時の気持ちにとても近いです。
今回は、少々長くなりますが、その「風景」のはなしです。

大学で「景観」を学び始めたとき、「橋の下」を「景観」ととらえ、これからはその分野でがんばっていこうと、決意しました。またその後、「ランドスケープデザイン」なる分野を知ることになります。建物だけでなく、オープンスペースなどをデザインする分野です。

ぼくは「これこそやりたいことだ!」と強く思いました。
自分がやるべきことにようやく辿り着いた気がして、学部を卒業した後、1年間の研究生を経て「ランドスケープデザイン」を学べる大学院に進学します。

今まで書いたように、人一倍遠回りしながら辿り着いたわけですが、遠回りしたがゆえに、徐々に、ある違和感が大きくなってもいました。それは、ぼくが過ごした「橋の下」は、「景観」ではなく「風景」ではなかろうか、ということです。

例えば、○○デザイン賞とか世界遺産とか。それこそ都市景観賞とか。そのあたりで評価される「景観」の価値は、たくさんの人と共有されやすいものです。※補注1

でもぼくが大切にしたい「橋の下」は、そうではありません。みんなにとって、ではなく、ぼくにとっての個人的な、あるいは個人的だからこそ価値がある主観的な「風景」だったのです。そして「景観」のように物理的なかたちが大事だったかというと、そういうわけでもない気がしたのです。

前回書いたように、「景観」は築けるもの(つくれるもの=デザインできるもの)でした。でもそれが「風景」だとしたら、果たしてデザインできるのでしょうか?

さらに、その大切に思えた「橋の下」の「風景」は、(ぼくが大切に感じるように意図的に)デザインされたものではないことにも気づきました。

車などの荷重や地震に耐えられるようにつくられた橋と、治水を目指して整備された河川敷。その結果として生じてしまった場所が「橋の下」だったのです。

つまり、デザインされていない「橋の下」を、ぼくはデザインしようとしていたのです(!)
果たしてそういう「風景」を、デザインできるのでしょうか…?

そんな疑問を悶々と反芻していたとき、仲間先生から、これ面白いよと雑誌を手渡されます。その中には、フランスの美学者:アラン・ロジェの小論がありました。

 

1998年。23歳のぼく。この頃はとにかくいろんな場所を見にいきました。「橋の下」とはどういう「風景」だったのかを探しに。

1998年。23歳のぼく。この頃はとにかくいろんな場所を見にいきました。「橋の下」とはどういう「風景」だったのかを探しに。

 

その中でロジェは、西欧における風景(landscape)とは、そもそも風景画(オランダ語: landschap, 15世紀末)を語源とした美的概念であると指摘していました。※補注2

「風景画」— つまり「風景」を主題とした絵画の歴史はそんなに古くはありません。従来まで、肖像画や宗教画のように人物の付属的な要素として位置付けられてきた「周囲の環境」が、ルネサンス期(15世紀末〜16世紀初頭頃)にはじめて主題として描かれ、「風景画」が生まれました。※補注3

今まではそれこそ「周囲の環境」でしかなかったものが、その現実の姿形は変わらずとも、美しいとか醜いとか… 豊かな意味が見出されるようになり、それが「風景」として、市井に徐々にひろがっていったのです。言い方を変えると「風景画」によって、現実の「風景」が、つくられたのです。

「風景」が発見されたはじめの頃の「風景画」は、環境を「見たまま」に表現したものでしたが、徐々にその表現も変化していきます。「見たまま」から「感じたまま」へ、より主観的な意味が付与されていきます。

興味深いのは、前衛的な「風景画」が、より主観的な意味づけへと変化してきた時代(19〜20世紀)になってはじめて、現実世界の環境をより客観的に捉え分析することを目的とした「景観」の概念が、地理学に生じた点です。※補注4

また、日本には西欧よりもっと早い時代から「周囲の環境」を愛でる文化はありました。それは中国から輸入した「山水」や「景色」といった言葉に由来します。こちらも山水画や詩歌などの芸術によって「周囲の環境」を意味づけし、「風景」という概念と重なっていくわけです。

このあたりの「風景」の起源について、もっと詳しく知りたい人は<※補注5>を参考にしてください。ここではスペースがありませんので省略します…(すいません)

ロジェの理論に話を戻します。

ロジェは、以上を踏まえ、環境を「風景化」するためには2つの方法があることを指摘します。ひとつめは、対象を物理的に操作するやり方であり、「現場(in situ)」で「芸術化(artialiser)」することだといいます。

つまり、これは一般的な意味での「(空間)デザイン」です。
環境を物理的にデザインし、新たなかたちが生まれることで、確かに「風景」が生じますよね。

そして2つめは、まさに「風景画」がそうであったように「見ること(in visu)」で「芸術化」することであると指摘します。つまり、対象を物理的に操作するのではなく「意味づけ」のみをすることです。

たとえば、ある建物が、写真集でとても美しく切り取られていたとします。すると、今まで何とも感じていなかったその建物に対して「美しい」と感じてしまったりします。

建物は物理的に変化していないのに、写真家が提案した「意味づけ」によって、新しい「風景」がつくりだされたのです。

もうひとつ例を出します。

都市部に住む人たちは、田舎の棚田を見て「美しい風景だな」と感じます。でも、その棚田で農作業をしている方は「もっと効率的に作業できたら…」という気持ちで過ごしていたりします。つまり、同じ対象に対して「美しい風景を見ていない」ケースがあります。

ずっと農作業をしている方にとっては棚田は生産の場であり、美的な「意味づけ」の前提となる「見かた(構え)」を持ち合わせていないのです。(外部からの移住者になると、美的な構えが強くなります)

つまり、ロジェの理論を援用すると、風景をデザインする手法として「A: 環境を物理的に操作すること」と(物理的に操作せずに)「B: 環境の意味づけをすること(意味を変えること)」の2つが存在することになります。

その理論を知った時に、ぼくの「橋の下」はまさに B に当たることに気付きました。

環境が物理的に操作(デザイン)され「風景」が生じたわけではありません。ぼくが勝手に大切だと「意味づけ」したことにより、かけがえのない「風景」をつくった(デザインした)のです。※補注6

ぼくは、これからの時代は B の「風景デザイン」が特に重要になると考えました。

しかし現実は、景観のデザイン領域は A を目指すものばかりでした。そして B については、社会課題とリンクせずに「楽しみ」や学術研究で完結するか、商業的な広告デザインばかり取り組まれていました。デザインの実践が見られない現状に、強い問題意識を持つことになります。(16〜7年前くらいの話です)

その結果、ぼくは気持ちがおさえられなくなり、B の「風景デザイン」を実践していく活動を2000年からはじめます。それが「trivia」です。

次回は、なぜ B が重要だと思ったのか、そしてtriviaで目指したことなどについて、お話していこうとおもいます。

 

※補注1:正確には、たくさんの人=不特定多数ではなく、一定の知識層。このあたりの問題意識については、また改めて書こうと思います(予定)。
※補注2:アラン・ロジェ「風景と環境—その『言分け理論』をめぐって」 SD 1995年4月号, pp.82-87
※補注3:フランスの現象学的地理学者:オギュスタン・ベルクは、フランドルの画家:ヨアヒム・パチニル(1485-1524)が「自然=周囲の環境」を絵の背景としてではなく、それ自体として(つまり「風景」として)描いたヨーロッパの最初の画家であると指摘しています。(オギュスタン・ベルク「風土の日本 自然と文化の通態」1988, p.193)
※補注4:日本ではじめて「景観」が使われた時期については、第2回目を参考にしてください。
※補注5:景観と風景の起源については、上記の補注1〜2の他、オギュスタン・ベルク「日本の風景・西欧の景観」1990や、イーフートゥアン「トポフィリア―人間と環境 」2008などが詳しいです。風景画については、越宏一「風景画の出現―ヨーロッパ美術史講義」2004(高いです。古本で9万くらい…)、ケネス・クラーク「風景画論」2007など。
※補注6:仲間先生の恩師である中村良夫氏は、この B を「セマンティックデザイン」と呼び、風景デザインの三形式のひとつと位置付けます。まさに、意味論上のデザインです(中村良夫/進士五十八/オギュスタン・ベルク/鈴木 博之/内井昭蔵「新作庭記―国土と風景づくりの思想と方法」1999, p135)。




田北雅裕


九州大学の教員です。
そのほかに、SOS子どもの村JAPAN 広報アドバイザー、ALBUS ディレクター、糸島市 市政アドバイザーなどもしています。http://trivia.gr.jp