2015.9.7 家族の風景 05
「ちっぽけな風景」との出会い

「風景デザイン」への問題意識から、15年前にデザイン活動 trivia をはじめます。 trivia とは「ちっぽけなことがら、些細なことがら」という意味です。今回は、triviaを立ち上げるに至った、一番大きな理由について書いていきます。

それは、久しぶりに訪れた「橋の下」での出来事に端を発します。

 

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この写真のように、ぼくがいつも身を置いていた場所がフェンスで囲まれ、入れなくなっていたのです(この写真は実際の場所ではなく、福岡の別の場所です)。

さらに、そこにはホームレスの方が生活していました。その方は、フェンスができたことで、どこかに行ってしまい、二度と会えなくなってしまいました。

そして、もう1ヶ所の「橋の下」も、のちにきれいに整備されることになります。草がぼうぼうだった場所が、見渡しのよい芝生広場になりました。確かにきれいになりました。でも、そこも同じように、ぼくの大切な風景、居場所ではなくなったのです。

草をかき分け、周囲から見えないからこそ身を置いていた大切な居場所がなくなりました。その喪失感はとても大きなものでした。一方で、その変わり果てた風景を、ぼく以外の人たちは、評価していたのです。きれいになってよかったねと。

その状況を目の当たりにしたときに、これがはたして「公共の場のデザイン」なのだろうかと、疑問を抱きます。(そもそもフェンスという設え自体が、デザインとはほど遠いですが)

公共の場において、「みんなに優しい」「みんなのため」、そんな言葉のもとで、より多くの人たちに評価されることが良しとされること。そして、それを目指した結果、誰も大切に思えない風景も、たくさん生まれていました。

一方で、「デザイン」も、別の観点から、多くの人たちに知られる・評価されることが良しとされます(特に当時は)。有名なクライアントとの仕事、予算規模の大きな仕事、業界で知名度のある賞を獲ることなどが、実績として評価されるのです。

結果的に、評価される公共のデザインは「新しい」「ひらかれた」「にぎわいのある」あるいは「楽しい」「面白い」等の言葉が多用されていました。しかし、これらの言葉はいずれも、ぼくにとっての「橋の下」を示すものではありませんでした。

「橋の下」は、「にぎわいの場」のようなものではなく、「逃げ場(=アジール)」だったのです。

それも、とりわけ個人的で、かつ専門的に見ても「質」は高くありません。多くの人に知られてしまったりしたら、大切な風景じゃなくなります。

03で書いたように、「橋の下」は、誰かが大切に思えるように、物理的にデザインされた風景ではなく、「結果的に生じた」風景でした。橋がつくられた後に、デザイナーではないぼくが、意味(=価値)を見出した風景だったのです。

そうして、かろうじて生じた個人的に大切な風景は、それがなくなる時もまた、誰にも価値を見出されないものなんだなと、この出来事を通じて痛感します。

であるならば、当人以外の誰かが、このかけがえのない風景を、価値を、共有する所作が必要だなと考えるようになります。広く知らしめるのではなく、大切に思える状況のままで、です。

そして、その共感のつながりこそが「公共性」をかたちづくるものではないかと、考えるに至ります。(その端的な表現が、オモイデアンケートです)

ぼくはまだマシだったと思います。ホームレスの方にとっては、プライベートから追い出され、公共の場だからこそ、ようやく見つけた居場所でした。そこからさらに追い出すことが「ひらかれた」行為とは思えませんでした。

もちろん「(公有地の)占用」はダメです。でも、そういう問題ではありません。

「占用」がダメなのは「その空間にのみ通用する制度(ルール)」の話であって「その方が抱えざるを得ない問題」でも「それが生じた社会システムの問題」につながるものでもありません。

課題を解決しようとするのであれば、占用を禁ずるだけでなく、「橋の下」から何らかの支援へとつなげる行為が必要です。でないと、その方は、他の場所を探すだけです。制度が縦割りに機能している現実においては、その「つなぎ」こそが「命づな」になります。

プライベートな場で生きられない人たちは、公共の場に居場所を見つけるしかありません。

公共の場に、その寛容性・弾力性がないと、そして「つなぎの起点」がないと、特に社会的に弱い立場にいる人たちは生きられないのです。

であるにも関わらず、課題解決を掲げているはずのデザインの役割が、いまここの、物理的な領域で完結し、それが制度によって正当化されている現実が、腑に落ちませんでした。課題を再生産しているじゃないかと。

以上のようなことを考えていたら、多くの人たちに受け入れられ、評価されるデザインや場に、徐々に関心を持てなくなっていきます。

多くの人たちに受け入れられる場、たとえば「にぎわいの場」などが必要ない、ということでは決してありません。特にこれからは、にぎわいとか、地域活性化とか、そのような営みはさらにニーズが出てくるだろうと考えました。自治体の財政は厳しくなっていくし、人口減少を食い止める魅力が必要です。

要は、多くの人が必要だと認識し、お金が循環する可能性のある営みは、誰かがやってくれる、あるいは、関心を持ってくれるということです。特に、このあたりは民間セクターが得意です。

一方で「社会的合意形成」を見出していく中で、こぼれ落ちてしまう価値や孤立した人々を「みんなで」支えあう、あるいは目を配り、伴走し、時に大切な風景や場所を、ともに弔う営みは、切実であればあるほど、公的セクターがやらないと、誰もやりません。

あるいは、その場に住んでいるから・居合わせたから、という理由で逃れられず、向き合わなくてはいけなくなった重たい現実は、やはり「みんなで」支えなくてはいけないでしょう。

にぎわいがあり、楽しければ、自然と人は集まります。なのでわざわざ「みんな」を掲げる必要はありません。むしろターゲットがぼやけたり、機動力が落ちたりするので、「みんな」にこだわることが弊害になることすらあります。

でも切実で、特にプライベートにかかわる問題は、一部の(逃れられない境遇の)人が抱え込みがちになります。それこそ「みんなで」支え、気に掛けるという「ひらかれた」ポリシーがないと、小さな単位では抱えきれずに、孤立し、破綻します。

 

実際は「みんなが」支えるのではありません。

切実であるほど、支えてくれるのは結局一部の人たちです。でもその関わりの可能性を、当事者のために常にひらいておくことが、肝要になります。

この小さい単位で抱え込まざるを得ないものを、ゆるやかに「まち」にひらいていく、という意味を、ぼくは「まちづくり」という言葉に込めています。

 

デザインに話を戻します。

デザインは基本的に受注産業です。お金があるところにデザインの必要条件が生じ、そこにデザインが流通していきます。デザイナーはその中で実績をつくり、外部に評価され、さらに仕事が増えていくという循環の中にいます。

以上は決して悪いことではありません。むしろ望ましく、当たり前のことです。

しかしその一方で、社会の課題を解決していくことと、デザイナーとして仕事を維持していくこととは、矛盾する面も持ち合わせています。

なぜなら、社会の課題は、自分で解決しなくていいからです。第一義的な目的は社会が良くなることなので、誰かが解決してくれそうであれば、競うのではなく応援したり、独自性より一般性を優先した方がむしろ効率的な面が多々あります。誰かの役割が見出される、という効用もあります。

以上を自覚しているかどうかは抜きにして、これらの構造は、少なからず「社会の課題解決を目指したデザイン」の営みに、影響を与えています。

社会の課題解決を掲げていたとしても、解決するのに時間がかかったり、新しさやインパクトが見出されなかったり、必要条件が揃わなかったり(特にお金が循環しない)、諸事情により情報を「きれいに」外に発信しにくい領域には、デザインがなかなか行き届きません。

デザインは、それが社会的に必要なところではなく、必要条件が揃っているか、デザイン(とそれに親和性が高い)業界から、価値が認められやすいところに、流通していく傾向があります。

また、景観分野で「ミドル・ランドスケープ」という言葉があります。例えば、都心部は緑地が少ない。だから緑地を増やしましょうと施策が施されます。山間部は緑地が多い。そこで緑地を保全しましょうと施策が施されます。

つまり、結果的に最も施策が行き届かないのは、その中間(ミドル)のエリア=「ミドル・ランドスケープ」となります。

例えば、貧困問題を解決したいといって、世界最貧国とされるバングラデシュを目指したり、過疎地の課題を解決するために(深刻に感じられる)「離島」に着目したり、という行為があります。あるいは震災後に「東北が課題の先進地だ」と見立てられたこともありました。

つまり「ちっぽけ」に扱われて手付かずになりがちなのは、市井からみてインパクトのある「風景」ではなく、個性が見出されにくい「ミドル・ランドスケープ」となります。

であれば、そのような領域を見出し身を置くことが「まちづくり」の専門性なのではないか、と考えるようになります。「かくれた資源(個性)のある領域」ではありません。(地域)社会システムの中で、様々な主体が「無関心になったり、遠ざけてしまう領域」です。

当時は「ミドル・ランドスケープ」という言葉は知らず、「まちのグレーゾーン」と呼んでいましたが、まさにそのような、他者から「ちっぽけに」感じられる領域に関心が向いていきます。

その結果見出した屋号が「trivia=ちっぽけなことがら、些細なことがら」だったのです。

これから社会人として仕事をしていく中で、その「ちっぽけなことがら、領域」を見逃さないように、手放さないように、自戒を込めて屋号として掲げました。

また、ぼくは「local design」という言葉を好んで使ってきました。この「local=ローカル」という言葉に込めている意味も、このあたりにあります。

最近よく使われている「グローバル」に対峙した言葉ではありません。「都市」に対する「地方」という意味でもありません。身近であるからこそ、市井から見るとちっぽけに感じてしまう、その身近な領域の「固有性」を指しています。

身近であるがゆえに切実で、当該コミュニティーだけだと解決困難、周囲から理解・注目されにくい、新しさやインパクトが感じられにくい、などなど… そういった固有性です。

ぼくが11年前に杖立温泉街に移住した理由は、その固有性を感じたからです。集落内のコミュニティーだけだと、まちづくりが困難でした。かといって、近隣の注目されやすい有名観光地、あるいは極端な過疎地のように、(課題解決を目指した)新たな人材が移住したり、関わったりする可能性は極めて低い、と感じたのです。

その後も、まちづくりがなかなかうまくいかないコミュニティーを訪ねる中で、そこで出会った人と人との関わりや、特に子どもたちの境遇を目の当たりにした先に「家族」を思索していくことになります。

まちへとゆるやかにひらいていくべき典型としての「家族」が、「まちづくり」の文脈で語られないことに、疑問を感じはじめるのです。

 

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ぼくは20代の頃、テレクラのティッシュ配りをしていました。その際に出会った様々な人たちが、「まち」と「家族」の困難な現実を教えてくれ、ぼくのその後の生き方に少なからず影響を与えます。とある方の人生は、差別とともにありました。その方はぼくを故郷へとつながる橋までつれていき、「子どもたちには、この橋を堂々と渡って戻ってきてほしい」と語ってくれました。その言葉がいつまでも頭を離れません。

 

 

今回はこのあたりで。

次回で最終回とさせてください。




田北雅裕


九州大学の教員です。
そのほかに、SOS子どもの村JAPAN 広報アドバイザー、ALBUS ディレクター、糸島市 市政アドバイザーなどもしています。http://trivia.gr.jp