2020.3.24 街を想う時 
街を想う時、人を想う時。

2020年3月。福岡での生活もちょうどまる7年を迎えた。

私は、築き上げられた街の中でとても心地よく生活をしている。

紹介してきた九大学研都市駅周辺は、九州大学の移転に伴い福岡市西区の新しい拠点の地域作りと、
九州大学の玄関口としての市街地整備をされた場所だ。
1997年より区画整理事業が始まり、18年の歳月をかけて2015年3月に大事業を完了させたとある。
私は2013年にこの地域住民のひとりとなって、その様子を見続けてきた。
今から思えば、偶然与えられた機会だった。

ぽっかりと空いていた地面はピースが埋まっていくように横に横に広がり、そして上へ上へと建ち上がっていった。
広い空がどこまでも続いていたのに、気がつくと電線や建物で区切られ、その面積は小さくなっている。

興味や好奇心から日々見つめてきた建築の現場はほとんど見られなくなった。金属を叩く音も聞こえてこない。
道路は工事車両の連なりがなくなり、朝は乗用車が並んでいる。その横にカラフルなランドセルを背負う子供達の姿がある。
特に女の子達は全身を好みの色でコーディネートしているようで、ランドセルは赤、という私の時代とは全く違う。
それぞれが放つ個性の色が通学路を明るくしている。
そんな朝の光景をコーヒー片手に窓から眺めているうちに、近しい気持ちになっていて、
気まずいことは起こらず、よいことばかりの一日であれば‥と、思ったりしている。

 

 

この子供達は2017年4月に開校した小学校に通っている。
街の急激な発展は、当初見込んでいた児童数を大幅に超えて、校庭にプレハブ校舎が増設されている。
そしてこの校区内に小学校を新設するそうだ。
日本中、閉じられていく学校の話はよく取り上げられているが、この街は多くの子供達のエネルギーであふれている。

この街に移ってからの私は、日々の習慣や行動が自然と変わったように思う。
買い物帰りに、地域住民の交流センター「さいとぴあ」内の図書館に立ち寄りおすすめ本の並ぶコーナーを見る。
旬の話題が載る本を手に取って幅広く拾っていく。
西区役所の出張所、体育館、トレーニングルーム、多目的ホール、趣味の発表の場もあり、
地域住民を結び、いろんな情報をもらえる場所だ。

夏の屋上では朝顔、ゴーヤ、実を膨らますフウセンカズラなどが毎年のあたりまえの仕事のように
涼しい色のカーテンを作っている。つる性植物たちの縦横に伸びる様子を観察しに行く。
そしてたくさんの本を置き静かに集中する学生さんたちもよく見かける。1日が暮れる時間まで自分と向き合っている。

 

 

良い習慣は、よく歩くようになったこと。
身体に良さそうという理由もあるけど、歩きたいと思う場所がたくさんある。

今津湾沿い。歩くと島の重なりや見え方が変わる。普通に海を感じながら横に広がる通学路。
通学路がこんな美しい景色だなんて、今も何十年先もきっと自慢できる事だと思う。

 

 

そして風が気持ち良い緑の散歩道がある。自宅から見える高祖山の方角に進み、国道202号バイパス線を越える。
ほんの数分歩くだけで、時間の流れがガラッと変わる風景が見える。
高層マンションはなく、さわさわと揺れる麦、稲穂。春はレンゲ畑、菜の花、と、
ここに根付いた植物たちが土の中からしっかりと立ち、途切れず成長している。

国道202号バイパスを超えた場所にはまだ、土と水気を感じる昔からの田畑が広がっている。

 

 

もう少し奥に進むと、農学者宮崎安貞の書斎と墓地がある。
江戸時代、自ら農業に従事しながら農業技術改革に努め農民を指導し農地を開いた。
その地は「宮崎開(みやざきひらき)と呼ばれ、私の住むマンションもちょうどその中に位置している。
高層マンションが立ち並ぶ景色に変わったが、初秋は見渡すかぎり稲穂が垂れる光景だったらしい。
今ここからは何も感じ取れない。
夜。明かりが灯り出す時間。どんな顔が並び、どんな暮らしがそこにあるのか、目に見えるものだけを感じて想像している。

 

 

そして、この辺り一帯でよく目にする「伊都」という標記。
九州大学伊都キャンパス、店舗にも、生産されている野菜などにも「伊都」という名がつけられている。
3世紀、邪馬台国の時代に九州北部にあった伊都国が由来で、場所は福岡市西区から糸島市付近の地とみられている。
常に大陸を向き、中国大陸と朝鮮半島の外国貿易の中継地点で、新しい文化が真っ先に入る場所。
弥生時代から続く国の名前が時を超えて使われている。

住み始めた頃、私は友人に、何もなく、今から始まる感じがあって、そこが面白い街!と話した。
信号機も少なく、地名の書かれた案内標識も、街路樹もなく、ただただ白く乾いた土地が続いていた。
でもここは、何もないどころか豊かなものがありすぎて、育まれてきた特別な力が巡っている。

遠い遠い過去と今が繋がり、私の中で共に輝き合っている。

うちから徒歩15分圏内に、前回紹介した山ノ鼻古墳を含めると古墳が4つある。
未知の世界に少し入っていける散歩コースだ。

 


大塚古墳。木などで覆われていないので輪郭がはっきりわかる美しい曲線の古墳。

丸隈山古墳。ここが後円部の頂上で石室が開いている。柵の中はツインの石棺があり中を覗くことができる。

若八幡宮古墳。丘陵上にある若八幡宮社殿内にある。全景は捉えにくい。写真は丘陵北側より。

 

そして私は、この7年間の福岡での日常の旅を終えて、次の新しい街へと移ることになった。

私の心をとらえた様々な場面を思い浮かべたり、いただいた大切な言葉、いろんな種類の音や色を思い返して、
今、少し寂しい気持ちの中にいる。

この居場所は私に大きな良い影響をもたらせてくれて、私を小さく変化させてくれた。

コミュニケーション能力をあまり持ち合わせない私は、ここでの生活もきっとそう長くないだろうと決めつけ、
あまり広がることをしないでいた。それでも7年もいて、同じ時間帯にカメラを持って歩いていると、
声をかけてくださる人もいる。つい最近までフイルムカメラ使ってたよとチャーミングな口調の紳士は、
携帯の中の写真を見せてくださり出会えばよく話をする。
フイルムカメラを知らない子供たちは撮ったものを見せてと背中をよじ登り、見られないことを不思議がっている。

コーヒーショップの女性は、ブラックですねと差し出してくれ、おすすめコーヒーを尋ねたり、TVで話題の食品の話をする。
郵便局の女性もいつも笑顔で迎えて下さり、私の出す荷物をテキパキと測って金額がお安い方を教えてくれる。
お二人とも、いつも大勢のお客様の対応をされているのに、顔を合わせてからの、その人向けの言葉のかけ方に気心を感じ、
見習わなくてはと思っている。毎月お邪魔している美容室もいつも明るい雰囲気を作り、楽しい会話をさせてもらっている。
散らかっている私の髪と心に、次のひと月までの栄養をくれる。

そんな人々との心のこもった関係性は、この街に住んで生まれたものだ。

そして、いつも近くばかり見てしまう私に、遠くに視点を置く事を教えてくれているような高祖山と背振山の連なりと、
赤い土を少しのぞかせ、人間や小さな生物たちを乗せて見守っているような山ノ鼻古墳と、
朝と夕方に行先を照らす東西に延びる1本の道と。

一瞬の美しい街の見え方に、ハッとさせられる毎日を送ってきた。

 

 

豊かな自然の風景と、伊都という名前と古墳から少しだけ見えた古代史と
今、様々な人の手で作られた温もりのあるこの街の景観を、
これからはこの街に住まう人々が守っていく。またここからが始まりなのかもしれない。

転居はリセットだ。うまくできるかわからないけど、この膨大にふくらんだ写真のデータとネガを整理して、
この街に受け入れてもらった感謝と、ここで得られた本当に大切なものだけを
しっかり手の中に持って、次の街へ行きたいと思う。

このコラムの執筆にあたっては本当に大勢の方のお力をお借りした。
公園の事を取材させて頂いた先生。土のことを教えて下さった先生。
そしていつもいろんなヒントを下さり福岡の魅力をご自身の視点から伝えて下さった先生。
また撮影場所を快く提供して下さった地域複合福祉センター「いと楽し」の施設長様。
FUBAチームのご担当の皆様方、本当にありがとうございました。

そして最後までコラムをお読み頂きありがとうございました。

 

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小栗祐子


写真家 大阪府出身
写真家 田中仁氏に師事。
2013年 神奈川県より福岡に拠点を移し 活動中。
趣味はデパ地下巡り。