3年前に執筆したFUBAのコラム「都心の消えゆく景観 生まれくる景観」の投稿後、ひとりの読者の方から、私のフェイスブック宛てにいただいた投稿がきっかけです。
メッセージには、「父が子供の頃にこの黒門飴を良く食べたとか。そう言われて、子供の頃、福岡に帰郷するとこの飴を買う父でした。私もそれが大好きで。この風景もいつかは、無くなるのかと、寂しく思い、無くなる前にと写真に撮りました。」とありました。
もしかしたらなくなるかも知れない景観、でも後世に残していきたい大切な景観、誰かがそう思う大切な景観を「絶滅危惧景観」と呼んでみることにしました。※もし、私が行ったネット検索では、この言葉はヒットしなかったのですが、もし先にこの言葉を使われている方がおられましたらお許しください。
一人ひとりの思いの中にある絶滅危惧景観は、福岡市の都市景観の中に沢山点在しているのではないでしょうか? もしかしたら、市民の数だけあるのかもしれません。
なぜなら絶滅危惧景観は、人の暮らしや生業が密に関わっているもので、誰かが残したいと思う景観は、誰かの暮らしがあったり、誰かの思い出が、そこに凝縮されていたりするからです。
約160万人の誰かが、そう思えば、その数だけ絶滅危惧景観が生まれるのです。
この記事は、3年前に執筆したものですが、一つの景観がなくなって、また新しい景観が生まれるそのタイミングで、このFUBAに取り上げてもらいました。少し、古い表現もあるかもしれませんが、ご容赦ください。
景観計画をもってまちに出よう!
~残したい景観 絶滅危惧景観~
今回は、黒門飴屋「板谷商店」に行ってきました。
黒門飴屋は、旧唐津海道沿いにあり、近くの白壁と瓦葺の家屋が並ぶ街並みとともに、往時の面影を伝えています。お店を訪ねると、奥から優しそうなお母さんが出てこられました。
話を聞いてみると、建物は明治期のもので、戦火もくぐりぬけてきたそうです。飴は、明治の創業以来変わらない手づくりの製法で作られ、材料も麦芽水飴だけを使っているそうです。大正時代から使っている飴引き機も、土間の真ん中で存在感を出していました。季節や天候で飴の温度などを調整されながら、明治の味を守り伝えられていました。「毎日、同じことしかしていないのよ」と笑いながら、飴を手渡してくださいました。同じことを、ずっとやり続ける、そうした“暮らしや生業”があってこそ、明治期の建物がその場所にある意味を伝えてくれるのだと思います。
絶滅危惧景観は、建物などただ残せば良いというものではなく、そこで営まれる暮らしや生業が、どのように引き継がれていくか、そこにある日々の暮らしのシステム自体を残すことが大切ではないかと思っています。これは、建物を残す以上に難しいことです。
誰かが思う絶滅危惧景観が共感を得たとき、みんなの絶滅危惧景観になるのでしょう。みんなが残したいと思った絶滅危惧景観を、後世に残していける仕組みはないでしょうか。その仕組みのひとつとして保存活動をするというのはどうでしょう。地域の共有財産として継承していくことを考える活動など良いかもしれません。
また、「買う」という行為も小さいけれど、効果的な保存活動ではないでしょうか?例えば、明治時代から同じ製法、人工甘味料など使っていない素材で作られている「黒門飴」を選択して買うということなどです。本当の意味で残していくということは、そこでの暮らしや生業を引き継ぐこと、そしてその暮らしや生業が存続できるような仕組みや市民の意識をつくることでしょうか?
2019年6月現在、この場所は解体され、これから新しい景観が生まれようとしています。もしかしたらなくなるかもしれない景観、でも後世に残していきたい大切な景観、皆さんの「絶滅危惧景観」を探してみませんか?