2015.6.1 Unknown Landscape 
移ろいの風景暮らし

 未来永劫ずっと変わらぬ同じ風景なんていうものはありません。形のある建造物ひとつとってみても、素材の経年変化もあれば構造寿命もあり、役割を終えて陳腐化してしまえば社会経済的寿命もやってきます。もしかしたら天災の恐れだって。が、今回は、そもそも形の無いもの、すぐに消えてしまうもの、そこにあったことすら気づかれないもの、に敢えて目を向けようかと。

 

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 例えば空気の動き。風を肌で感じることは出来ても目には見えません。そのかわり、風を受けて動くものや、発せられる音が、風を僕らに伝えてくれます。いや、音だって空気の動きなんですね。書いてて思い出したのだけど、僕が東京に住む学生だった頃には、「サウンドスケープ」という見えない風景に向き合う活動が、分野のひとつの最先端だったっけ。あるいは、例えば雨や霧。嫌だけどついでに黄砂や花粉やPM2.5。目には見えてるんだけど形がありません。
 そして一瞬たりとも同じ状態はありません。同じように続いているようでも、移ろい、常に変化しています。

 

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 別の観点もあります。時間や季節の移ろい。星や月や太陽の動き。お寺や教会の鐘の音。毎朝同じ時間に駅を出発していく電車。花が散り陽が照りつけ落葉で埋まり吐く息が白くなるような。毎日、毎年、決まりきった繰り返しの中で現れる同じような様相。だけどこれまた一つとして同じ状態はありません。去年のクスノキの若葉と今年の若葉は同じようでも、葉っぱそのものは違います。でもだいたい同じ「クスノキの若葉」。今年も去年と同じようにきれいですね。前のものとは違うんだけど、自分の周りの様々なものと結ばれている縁が同じなら、繰り返し訪れる同じ情景として観ようという気持ちがそこにあります。
 風景が移ろうということは変化している、以前と今は異なる、ということです。が、その変化を一期一会の再びやってこない瞬間の風景として心に刻む人もいれば、繰り返し訪れる変化を、同じ意味を持つこととみなして季節の味わいにする人もいます。暮らしの豊かさにはどちらも大切。

 

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 さて。移ろう風景を眺めたいのなら、公園は最適な場所です。小さな公園でも大きな公園でも、お気に入りの公園が心の中に一つあるだけで、毎日の風景暮らしがとてもハッピーになります。公園の面白いところは、人がいて水や風の動きがあって初めて絵になるところ。人の動きがあると、何の変哲も無かった空間のすき間や飾り気のない場所が周囲からふっと舞台のように浮かび上がります。地から図が浮かび上がるような感じ、とでも言うのか。
 それから雨が降れば、水たまりの波紋は不思議なほどリズミカルだし、カフェの軒先から落ちてくる雨垂れもまるで生きているかのよう。
 つまり公園は、形のない移ろいゆくもの達の力を借りて、はかない一瞬の風景を絶えず生み出し続けているのです。

 

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 だから、例えば「絵になる風景」と言ったって、計算して土を切り盛りして、建物を図面通りに造って、理念通りに造園をして、結果出来上がる形あるものの集まりは確かに美しいかもしれない。だけどそれだけで「絵になってる」訳じゃないのです。次の瞬間に何が起きるか分からない変わりつづけ移ろうものを、自在に受けとめるしなやかさが、風景を楽しむ暮らしのなかに求められています。気づかれないもの、すぐに消えてしまうものを忘れないように見つめ、次の大切な瞬間を待つ。そんな心の構えを持つ人たちにこそ、公園は「絵になる風景」を語り続けています。移ろいの風景は、都市で生活する僕たちの心のありようを鏡のように突きつけてくるのです。

 

yoko

 

 心の構えで風景は変わる。僕らの毎日は移り変わり続けて、毎日がハッピーだろうか。公園を歩いて5分間だけのんびり考えてみようよ。




仲間浩一


1963年生。福岡県北九州市出身。風景通訳家。マウンテンバイカー。「トレイルバックス」代表。
主に中山間地や離島の地域で、景観の調査や評価、ツーリズム支援、ガイド養成などの仕事を行っている。