−(略)−こうまで賢いじねずみが巣をつくるときには円丘の東南斜面をさがし出すのだ。そこでは陽光にめぐまれて穴は暖かく居心地もいいしね。冬のブリザードは北と西側に吹きまくって斜面は氷ついてしまうのだけれども,彼らの棲家の上には粉雪が積るだけだよ。”ハンターはさらに考えめぐらすのである。“彼らが実際に穴をつくるときには一体どんなふうにするのか知っているかい?実はね、彼らは2~3フィートの比較的急傾斜の穴を掘り、そしてその中に平らで居心地よい寝床をつくるのだよ。そこが彼らの宿営の場所というわけさ。草地の根群の下で、風をさけて陽光に暖められ食物と水とには近いし、じねずみの群が集っていて彼らはそれを計画的につくっていくんだ。−(略)−少年の考えはこうだった。“じねずみが家をつくるときには人間よりはましにやっているね、確かに。”ハンターは思案しながらこう答えた。“そうだよ,そして私の知っているところでは、他のほとんどの動物もそうなんだ。ときどき不思議な気がして仕方がないんだ”。
(鹿島研究出版会ランドスケープアーキテクチュア「プロローグ」よりー)
「職業は?」と聞かれれば、そこはあえてランドスケープアーキテクトと答えています。わかって頂けると嬉しいですが、どうやら建設畑の方でもないと難しいようです。「広場とか公園とか庭とか、建物の外側を設計しています」と補足すればご理解いただけますが、「そんな職業があるの?」とか、「外側も設計が必要なんだ!?(←これ何気にショック!)」という反応もしばしば。「造園設計」「外構【※1】設計」と言う方が通り良い事も。元々セントラルパークを設計したオルムステッドが、自ら名乗り出したもので、庭師的な側面もありますが、パブリックスペースの風景を扱う専門家として、職能の表現をあらためたのかもしれません。
この職業の存在を知ったのは、実は社会に出てからでした(かなり遅い!)。建設コンサルタント【※2】さんの依頼で少しばかり公園の設計に携わったのですが、はじめはさほど興味はありませんでした。敷地があって、その上にカタログの施設や遊具を配置するだけで、例えば工事金額が減れば数を調整し、住民の方から意見が出れば、施設を動かすという感じで、設計というよりはレイアウトソフトのようで、公園の風景を何か枠で捉えているような気持ち悪さを感じていました。【※3】
その頃、友人の勧めで「風の丘葬祭場【※4】」を観に行きました。雄大な地形の起伏に、レンガやコールテン鋼【※5】のオブジェが貫入し、建築の要素が美しく構成されていました。なにか一つ動かせば破綻しかねないような緊張感と、葬祭場の静粛なイメージがピタリと一致していて、印象的な絵画のようでした。その後、専門誌等でその地形はアースデッシュと呼ばれる窪みで、底に走るグラフィカルなラインは排水施設である事を知りました。敷地と建築の関係が丁寧に意識されていて、あぁこれがランドスケープの仕事なんだなぁと気づかされました。

(風の丘葬祭場)外の水面に反射する光を建物下窓から取り込む。敷地である外部空間と視覚的なつながりを生む仕掛け。

(風の丘葬祭場)雨水排水のラインはアースディッシュと呼ばれる窪みをより窪みと感じさせる装置にもみえます。用と景【※6】
僕たちの仕事のほとんどは、建築設計事務所から依頼される「外構設計」です。読んで字のごとく「外」の構造物の設計です。外壁から敷地境界までが仕事の領域です。敷地面積が1,000㎡で建築面積が800㎡であれば、残りの200㎡を検討します。1,000の中のどこに800をとるか、200なのか100と100なのか?本来は、そこから建築家と考えるべきなのですが、土地の狭い日本では建築ありきが多いようです。そしてその効率性が最も重要視される事が多く、初めて敷地をみる時にはあらかた建築計画はできています、むしろ僕らの出番は比較的プロジェクトの終わりしなが多く、残された皮一枚の敷地に思いを込めます。設計の世界でよく使う「図と地【※7】」という表現は、漢字としては「地」がランドスケープを想起させますが、実際は逆の場合がほとんどのような気がします。

舗装の切れ目は縁の切れ目?都市の中の建築外構は皮一枚という表現がよく似合う。
最近、都心部にある公園が続けて改修されました。水上公園とその向かいにある天神中央公園です。2つの公園はPFI【※8】の考え方が取り入れられ、公園の中でも事業のできるくらいの規模の建築が建てられるようになりました。今まで建築の敷地としていなかった場所に、いかに建築するか。かつて那珂川沿いは川に顔を向けた生活の場でもありました。昔の写真から手法や素材等細やかな景観検討が行われた護岸整備もすすんでいます。【※9】人と川と建築の関係が再構築される新たな風景創出への期待もあります。

左:工事中当時の水上公園。水面が敷地のようにもみえる。
右:工事中の天神中央公園。公園が敷地となる。
じねずみの話では、人間が災害の影響を受ける場所に家を建ててしまうことが対比的に書かれています。じねずみは自分たちだけで敷地を選んで巣をつくります。ランドスケープアーキテクトであり、建築家であり、施工者であり、居住者でもあります。僕らの仕事は、まだじねずみの巣づくりには全然及んでいないということを、少年の辛辣なつっこみで気づかされるのです。