2019.2.28 世界を旅してきた中で 
ランドスケープのつくられ方(その3)

前号から奥会津(福島)や滝ヶ原(石川)、長崎の壱岐の事例を出しながら創造区(=クリエイティブ・ブロック)が出来上がるプロセスを独特すぎるタッチと論理で説明させていただいている。本稿ではクリエイティブ・ブロックの構成を成り立たせる1つ目の機能について触れていきたい。

その前に、大抵浮かび上がる筆者(本村拓人)の役割について説明しておきたい。
将来的には、地域のいたるところに創造区をプロデュースすることが本業になりそうだ。広域には都市部の一画に、または海外は主にこれまで途上国といわれつづけてきたエリアの地域にも、創造区を出現させていく予定である。プロデュースというまたもチャラチャラしている響きがあるので、その役割を少しだけ説明するのであれば『地域外から資本(クリエイティブ人材、機会、お金、技術…etc)を目的と経済的な戦略・戦術に合わせて持ち込むこと』と認識している。

あくまで筆者は、どの地域に携わろうとも部外者でありアウトサイダーである。地縁血縁など皆無な地域に根をおろしたプロジェクトとなる故に、必然的に筆者の役割は、創造性の高いプロジェクトを立ち上げた上での資本の注入となる。もっといえば、その部分にしか価値は提供し得ないと思う。

そして、この資本をつなげるために日々世界を浮遊している。一般的にトレンドなどは追いかけることはない。もっとラディカル(過激)な状況・状態にクリエイティブな人は集う為である。嗅覚がもっと自身にあればと思うが、そんなにあまくはないので、人や情報を頼りにラディカルな「ひと」「もの」「こと」にぶつかるまで移動し続けることもよくあることだ。だから、筆者にはよくこんな質問も届く。「自由奔放に移動するのはわかるけど、どうやって仕事してんのよ?お金はどうしているのよ?」と。結論から述べれば、キャッシュフローのバランスを見ながらなんて悠長なことは言ってられない。ギリギリな時もあるし、お金に余裕がある時もある。
一応、一定額の予算を年間で設けているが、移動=旅とは衝動である。適切なタイミングで「その場に居れるか?」も時には求められる為、移動ジャンキー(マニア)として振る舞うしかない。最近は、行く先に合わせて前々から仕事を作れる場合も多くなってきたが、

例えば、クロアチアやジョージア、ウルグアイやコロンビアには、おいそれと仕事になるような依頼などおちてもいないし、手繰り寄せられるだけの能力は筆者にはない。一番良い資金稼ぎは、ジャーナリストやキュレーターとして振る舞うことだろうが、お金をとるほどの能力は残念ながらない。ただ、だからこその冒頭に述べた通り、創造区の設計を手がける人=クリエイティブ・ブロック・デザイナーと名乗ることを将来的には期待しているのだろうが、筆者の性格上、未来にはまた違った意味をもっているはずなので、正直不透明なままだ。答えになったか否かは別として、格闘家のごとく目的の為にはストイックに自身の目的を遂行していることだけは伝わっていれば幸運である。

 

クリエイティブ・ワンブロックの構成要素とは?

 

その1 創造区には行政や市町村長の寛容さが必須。

 

筆者も若かりし頃は起業というアクティビティに憧れていた。起業家とは人類未踏の何かを成し遂げようとするきちがいな人たち、そう筆者は今も捉えている。そして、自身にはその勇気も能力もないことから、起業家として旗を降って起業することはきっぱりとやめた。

ただ、「起業」と「創造区を生み出す」という2つの経験から共通したバリアがあると感じている。それが、資金やスペースを提供(賃貸含め)するオーナーや行政機関、銀行やVC(投資会社)といったパートナーからの理解をいかに早く勝ち取るか?ということ。もっと言えば、人類未踏かいなかは別として、まだ誰もやってことのないことに挑むためにはリスクはついてまわる。もちろん、企てにはそれ相応の計画が必須であり、共感なくしては少なからずエリアの隙間(区画)で新しいことを起こすことはできない。その前提をクリアしてもなお、未来は不透明で白黒つけずらい。そこに公平性なんかもついてまわるのが地域での活動となる。ただ、オーナーやルールを作り管理する行政機関に一方的に「だまっていてください」「理解してください」というのも筋が違う。
そこで二つの事例を共有しながら管理者から寛容さを引き出すための戦術をお伝えしたいと思う。

 

自己投資をして、周りから四の五の言わせない。

 

ある程度のパワープレイとも言うべきか、自己投資で遊休不動産や土地を買い上げ、思うがままに創造区をデザインする。滝ヶ原は前号

でもご紹介したがIDEE創業者の黒崎輝男さんが自己投資で古民家とその周辺の土地を買い上げたところから始まった。

 

 

だいぶ語弊がある表現かもしれないが、石川県には同氏が別件で進めていた苔庭の再建プロジェクトの際にたまたま立ち寄った集落で見つけた古民家や畑、石切場や小川などを見て即座に購入を決めたと言う。訪れた方であれば今作り上げられている状況を前提に捉える為「こんな集落があれば私も貯金や有り金を使って投資をしたい」となるのだろうが、朽ち果てたその集落を見てすぐさま土地や不動産を購入しようと思える人は相当少ない。黒崎氏はまず古民家の改修から進め、古民家独特の様式を残しつつ、インテリアはモダンな設えとなっている。

詳細については勉強不足な為筆者の拙い言葉での説明はこのぐらいにして、どう計算しても1500万円以上は改修やインテリアにかかっているはずで、採算性が高い事業計画ありきではじめたわけでもないという。黒崎氏は「あぶく銭がでたとしたら、それを貯蓄にまわすんじゃなくて、ほどよい加減に地方をハイローカルにしていった方が面白いよね」と語ってくれたことがあるのだが、まさに粋な計らいである。

驚くのはただ単に文化事業でとどめようなどとは考えていない、そう筆者は思う。その理由として、まず、滝ヶ原の管轄である小松市は追加で補助金をいくばくかだしたという。自己投資をした黒崎氏のポリシーからいえば何らかの義務を負わされる行政から捻出される資金はプロジェクトの鈍化を誘い込むのみで、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。それゆえに、古民家改修、畑の整備、ピザ窯やフェスの運営など半年もかけずに一気に進めたと言う。
また、170人前後と言われる集落に、3名もの人材を都市部から移住させる。まだ20代前半のアーティストと千葉で暮らしていたファーマーの二人と共に、鎌倉を拠点に活動していた経験豊富な39歳のクリエイターが一人滝ヶ原プロジェクトに参加する。土地を購入して改修するという行為はハードのプロセスとなる。

その一方で、このハードに対して個性を宿すことでこの創造区が徐々に”色”を持つようになる。移住した3名の知人友人が限界集落と名付けられる地域に滞在をすることで、その集落に眠っていた資源が掘り起こされてくる。石切場にはいつのまにか海外アーティストが作品づくりに没頭し、徒歩圏内で取れる山菜やハーブ、蕈といった類の自然資源は先住村民との対話で知恵が継承されていく。その資源を材料として都市部から有名シェフが週末をつかって遊びに来ては囲炉裏を囲んで特性の鍋をすすりあう。ピザ窯で焼かれたナンでインド風カレーを食べるなんてことも自然と生まれる。都市部の人にとっては限界集落が非日常だが、さらに、集落や農村がもつ固定概念をことごとく崩す設えやリノベーションの芸は想像を超えて、一種のエンターテイメントへと昇華されていく。

こうなると、見た目以上に振る舞い自体もアヴァンギャルドな外者たちに嫌悪感を持つ地域住民がいてしかるべきと思いきや、移住してからほんの数ヶ月は相互に牽制をしあっていたのかもしれないが、移住した3人の暮らしは地域住民との連帯なしには決して継続は不可能であって、お互いに協力関係の絆を構築をするようになったという。

 

 

また、降り積もる雪のシーズンをのりこえ、移住してから1年後に、最初に改修した古民家の数件隣の朽ちた建造物をリノベーションして「TAKIGAHARA CAFE」を新設した途端、地域外からも凄まじい勢いで来訪者が訪れた。それだけでなく、地域住民からも物珍しさに最初は牽制をしていたものの、次第にその境界線はなくなり、自前の酒や野菜、おかずなんかを差し入れに来たり、自分の孫と同じくらいの年齢のカフェの定員を口説きにくるという良い循環が生まれている。ハードとしてのカフェは言うまでもなく一級品であることは疑う余地もなく、一番の名物となっているそば粉でつくるガレットはカフェに人を呼び込むソフトコンテンツ力の象徴でもある。筆者もなんども食べたがどのタイミングで食しても心を癒してくれる逸品である。「TAKIGAHARA CAFE」が起動に乗り始めたのもつかの間、今度は古民家に備え付けられ隣接していた蔵を改装して高級ゲストハウスへと変貌を遂げている。裏山の石切場からふんだんに(何を?)活用したバスルームも必見である。未だ知る人ぞ知る滝ヶ原ではあるが、この地域がさらに創造性を増すことに筆者は一つも疑いがない。関わる人すべてが自主性を重んじてそこに関係性を持っているからにほかならない。これは創造区を作り上げる5つ目の要素である接続性をも踏襲する。

 

 

黒崎氏が独自の資金で始めた創造区は1年数ヶ月で地域の住民と名もなき若者、そして、世界からは美術館のキュレーター、アーティスト、デザインシンカーや上場企業の経営者といったクリエイティブ人材やの誘致に成功し、彼らがメディアとなり地域外から様々な資源・資本が投下される。この好循環なうねりに地域住民も呼応して交差がはじまると、いよいよ公共サービスなどの文脈で捉えて見てもどう地域を管轄する小松市行政からは様々な協業の提案を引き出せる。筆者も黒崎氏が東京・表参道で運営する自由大学のディレクターを務めているが、たまにふらっと小松副市長が現れては小松市全体の地図を広げて黒崎氏に空き物件や行政として進める土地利用計画などの未来ビジョンを共有する光景を目にするのだが、それ以上に、黒崎氏は副市長に自身のビジョンを語り明かす。

お互いに良く話すものだから、それを聞き入ってしまって自由大学の会議がほぼ進まないというオチまでプレゼントされる有様を筆者はとても楽しく感じている。何よりも黒崎氏には頭の中には彼らからお金を引き出そうなどとは微塵も考えておらず、ただただ、明日の滝ヶ原にどんな状況をつくりだそうか?ワクワクしながら思考と試行を重ねているだけである。

そこで、黒崎氏にたずねたことがある「では、地域のルールや管理をおこなっている行政の役割はなんですか?」と。間髪入れずに「口を出さずに寛容な精神でリスクをとって楽しんでいる人たちを自由に遊ばせることだと僕は思う」この言葉の真意を説明するよりもまず読者の皆様には一度滝ヶ原へ行くことを強くおすすめしたい。

次号ではその2・その3の要素について触れていきたいと思う。




拓人本村


創造区画家。1984年4月28日東京生まれ。

生活者の想像力を掻き立て、関わりあう人の創造性が発揮される一区画"Creative One Block"を都市・地方へ宿すプロジェクトを多数展開。
専門は地域経営・都市開発。趣味は多拠点居住。特技は旅。

2009年株式会社グランマ創業。主にアジア8カ国にて地域開発・経営に従事。国内では東京と東北を往き来しながら、秋田県南に位置する湯沢に”Fermentation City”を企画。また、同地域で発酵ギークたちが集う年に4回のカルチャーフェスを企画運営する。(https://www.fermentators.com/)
都内では自由大学キュレーターとして複数の講義を担当。(https://freedom-univ.com/people/takuto-motomura/)また、世の中に新たな"思索"を提示するキュレーターとして世界を変えるデザイン展、Design For Freedom等、展覧会やムーブメントの企画を運営する。

基本的に個人の時代をいかに豊かに生きられるか?をテーマにRadicalな思想や発想をもつ先駆者たちを世界でおいかけ、複数メディアで執筆・寄稿する。(https://bizzine.jp/article/corner/109)