2018.8.1 世界を旅してきた中で 
ランドスケープの作られ方(その2)

 

何度もその地域を訪ねる理由は希少性である

 

石川県小松市に出現したtakigahara cafeは蕎麦粉を原料にしたガレットを求めて名古屋や岐阜、大阪や東京から来訪する人も。夕方5時ごろには地元の農家の人たちがカフェを切り盛りする店員を口説くワンシーンも必見な創造区。

 

普遍的な情景が見えてくると、次第にその地域でしか味わえないことに目が行くことになる。つまりは希少性である。この希少性の高さは三つ目の側面でもある接続性にも影響を与えるのだが、この章では希少性に焦点をあてたい。

筆者が日本で一番住みたいと思える二つの町に昨年出会った。海外生活が長かったせいかもしれないが、日本の田舎には世界の未来のヒントがたくさん隠されている。都市型農業生活を戦前から実践していた白洲次郎・正子のハイセンスな暮らしによく憧れたが、それを凌駕するほどの生活が金沢県小松市滝ヶ原と福島県の奥会津に広がっている。どちらの地域も行政的視点で表現すれば限界集落に位置付けられ、高齢化具合も半端がないほどに進んでいる。しかし、両地域には創造性の高いデザイナーやアーティストや起業家、大工や左官、建築家などの専門家や職人が集う。なぜか?その答えこそ東京のような大都市では果たし得ない”生活”が送れるからに他ならない。もう一つは田舎だからこそ身につく芸がある。

MITメディアラボ所長のJoi Ito氏がこれからの時代に求められる人材像としてMulti Disciplinary(多芸)をあげている。筆者も様々な仕事で国内外を渡り歩くが、年齢を問わず今仕事が多く舞い込む組織や個人の多くは、専門性を売りにせず、与えられたオーダーに知識がなくとも取り組む。それほどまでに世界のトレンドや嗜好は日々変化する。専門性を極めるよりも、時代の変化の先には常に未来からバックキャストされて浮かび上がった課題や希望があり、その複雑極まりない解を作り出すためにむしろ様々な才能や専門性を重ね合わせることに意義をみいだす。多くの人は自分の意志とは別に将来の市場性などを睨んで専門分野を極めようと努力する。何かを極めるという行為は立派である。博士や修士、公認会計士や一級建築士、はたまた、医者などの専門分野を目指す人は現在も多いのだろう。それがBIとAI、つまりインターネット普及の前後で大きく文脈はかわった。個人的には大きな組織に優秀な個人(以後クリエイティブクラス)が縛られなくとも同等、まはたそれ以上の環境・待遇で働く環境を手に入れられるようになった。それは情報のフラット化が影響している。情報のフラット化とは組織の意思決定者が持つ情報やそのソース元へのパイプラインにクリエイティブクラスらがアクセスできるようになった。ベルリンの壁の瓦解と同じように人が仕事を委託するクライアントサイドにとっても、大組織に払う総額よりもより優秀な個人や小さな組織に委託する方が、費用対効果が高いことを知ってしまうとこの流れはとまらなくなる。大組織側も単純作業を派遣に切り替え、ゆくゆくはロボティックで代替するシナリオが見えている。この流れが不可逆的になるとは考えられない。したがって、クリエイティブクラスの中でもトップクラスの人材はより多くの富を得ることが可能となる。(資産をもっていない場合も多く、彼らが億万長者になるか否かは別の議題としておく)あくまでこの文脈でいうところの優秀な人材はみな多芸能と言える。そして、その多芸能な人材やクリエイティブクラスを目指す一向が行き着く先が希望の未来がありうる田舎なのである。

 

 

なぜ田舎にいくのか?ここで筆者の持論を改めて展開しておこう。まずは時間が豊富になる。お金ではなく何かを生産するためには技術技能の習得、生産活動自体の時間が必要だ。そして、その間は稼ぎ口がなくなる。仮に都市部で働く場合、新たな技能を得る間は身を粉にしてどこかの組織や個人に時間と技能を売る。技能の希少性に比例して時間あたりの対価は高くなるがその間は奴隷も同然、自由はほぼない。クライアントに仕えた後、ようやくできた時間を飲み会や映画鑑賞、フェスなどの娯楽への誘惑に後ろ髪を引かれながらも部屋にこもって技能習得に励むことになる。睡眠時間まで削りはじめると次第に身体へのダメージも広がる。このルーティンをやりはじめて技能習得をしても味はボロボロ、その後の技能で食べていける保証もなく、最終的には日々のクライアントワークの方がうまくまわれば次々と新しい案件が流れ込んで首が回らなくなる。個人でやる限界を感じると組織をつくろうとなるが、構造はさほど変わらない。これを筆者は『フリーダムディストピア』と呼んでいる。つまり自由への闘争こそが悲観的未来への入り口となる。しかし、フリーダムとユートピアをともに叶える場所が存在する。それが日本の国土の大半を占める田舎である。よく言われるように、生活コスト(家賃、交通費、飲み会、会食、そのほか娯楽)が東京のみならずいわゆる都市での半分以下。うまくやりくりすれば8割はカットできる。すると、まず衣食住に対してかける費用が限りなく減る。これまで30万円必要としていた個人はそもそも15-20万円を生活コストにあてていたが、それが不要となる。さらに、都市生活での娯楽は飲み会くらいしかなくなる。やっぱり都市部での生活の方がエキサイティングなどと考える人たちにクリエイティブクラスにはなりえない。田舎であっても自分好みの娯楽を自らプロデュースするのである。都市部では騒音の問題などで不可能だったイベントも地域振興の宴とすれば高齢者世帯の参加も望まれるし、参加費は機材くらい。その機材といっても高が知れている。今は様々な素材がフリーか月額制となっている時代である。食べたいものがなければ自分の家の近くの畑で収穫できる素材を活かせばほぼコストゼロで食することができる。その地域にない食を作り出せれば見事に小商いを始められる。滝ヶ原ではそば粉からガレットを作るカフェを始めた。すると、県外は名古屋や東京から5時間以上をかけてそのガレットをめがけて滝ヶ原に遊びにくるのが日常の光景だ。つまり希少性の高いアイディアに実行力が備われば、田舎の資源を安く活用して、実現できる。実現するためにはあたりまえのように技能が必要となる。その技能を動きながら体得していく。learning by doingとはよくいったもので、田舎にはその条件が常に揃っている。都会よりも多芸になれる所以はここにある。

 

多芸能な人材が集まることで希少性がさらに発揮される

 

筆者が昨年から関わっている秋田県南湯沢市の地域デザインでの一コマ。さまざまな個性や才能をもつ地域住民を交えながらまちをどうしていくか?徹底的に話し合う。市民から自発的に事業構想なども提案される。

 

奥会津では廃校(木造校舎)をリノベーションして芸術村を始めた。そこに世界から毎年アーティストを誘致してその地域の普遍性を理解した上でアート作品を発表するビエンナーレを開催した。一過性のイベントをやることが目的ではなく、奥会津の地域住民にアートや創造性への入り口をつくることが何よりものミッションである。そうこうしているうちに創造性の高い専門家や実行力の高い人材が集まるようになったことで、いよいよその地域を運営する市町村・行政が動き出す。結果、行政が市の予算を活用して廃校のリノベーションを一気に仕掛けて見違えるような景色を人里離れた農村に生み出した。また、市の職員として3名前後の若い人材を域外からも誘致するようになった。情報発信も工夫すること。例えば、英語での発信もアーティスト誘致の必要性もあり、すすめていくことで地域への認知向上に貢献する。しかしそれはあくまでも表面的な要素であって、最も大切なのは奥会津ならではの素材をアーティストに活用させたり、大自然全体を巻き込んだランドスケープ全体の再設計を行政や地域住民を巻き込みながら進めていることである。そして、日本の田舎自体がそもそも希少性高い外国人アーティストや一風変わった外国人(クリエイティブクラス)を引きつけていることは、石切場の解放や古民家をモダンな家具とデザインで蘇らせた滝ヶ原(TAKIGAHARA Farm/Guesthouse/cafe/house…etc)にも共通している。希少性をしっかりと見いだしランドスケープの一つとして浮かび上がらせること(構成要素の一つにすること)でその地域に域外から新たな資源(才能・情報・お金)がもたらされる。大切なのはこれらの資源を有効活用するためにさらに域内外で交換や循環をつくり出すことである。また循環領域はなにも国内に絞る必要はない。先にも述べたが今私たちが生きているのはAfter Internetであって世界のどの地域とも触れ合える。その時に希少性の高さを保ちつつ、世界の何かの文脈へとフックさせるとことでさらなる資源への接続性は有機的になる。この接続性はランドスケープの構成要素5つ全てが行き着く先、つまり終着点でありゴールでもある。

 

創造領域の幅はルールを取り仕切る・服従する市民の寛容性に比例する

 

 

奥会津も滝ヶ原も見事に自由奔放にやっているよね、と言う声が聞こえてきそうだ。決してそんなことはない。その裏にはまずはその地域に余白を生み出す物理的リスクが存在する。滝ヶ原の場合は元IDEE創業者の黒崎輝男氏の投資で古民家や空き家、裏庭の畑や山まで購入してリスクをとったことで創造領域が生まれた。また、奥会津も初めは廃校にかけられる予算も少なかったという。そんな状況の下に同時国際的に活躍していたランドスケープ・アーキテクトである矢部氏が参画することになり、まずはじめは市の行政スタッフとして今だからこそ言える話だそうだが相当に収入を落としながらもボランタリーに本当にやりたいと思える事業のみを手がけていったという…次回につづく

 

 

 

 

 




拓人本村


1984年東京都生まれ。米国留学中アジア、アフリカを放浪した経験から新たに貧困の定義(=想像力が枯渇している状態)を提唱。2009年に株式会社Granmaを設立し、個人のクリエイティビティを高めることでこの「貧困」問題解決に取り組む。現在は、世界109カ国を回り、クリエイティブな都市や地域を国内外で観察し続けるRadical Journalistとしての知見を元に、個人が想像力を掻き立て演出する場「創造区画」のデザインを通して、地域に根ざした一区画から始まる都市・地域開発を専門に行う。