2016.8.14 古写真・観光絵葉書にみる福博景観史 
絵葉書は時代の最先端景観を伝えるツール

テレビやインターネット普及以前に、観光地や都市の魅力を伝えるツールとして普及していたもののひとつに絵葉書(ポストカード)があります。新聞や雑誌に写真の掲載が困難だった明治・大正時代、最先端の印刷技術を活用した絵葉書の印刷機は広く全国に普及しました。絵葉書による写真ニュース発行や記念品を安価に発行できるとあって、写真館や書店が積極的に導入し無数の絵葉書が発行され、全国で絵葉書収集の大ブームも起きました。本コラムでは古写真や絵葉書を通して、福岡の景観変遷を辿ってみたいと思います。(文中の絵葉書はすべて筆者所蔵)

 

絵葉書の資料価値

誰もが気軽にデジタルカメラやカメラ機能付端末を持ち、写真撮影を楽しむことができる現代ですが、それでも意図的にまち並みや景観写真を撮影する方はごく一部です。写真機をはじめ機材すべてが高価だった戦前のまち並み写真は少なく、福岡市の場合も絵葉書に頼ることとなります。しかし、絵葉書は切手のように発行目録がある訳ではなく、アンティーク絵葉書収集をはじめて20年を経て数万枚を所有する私でも、毎年初見の福岡市関連の絵葉書が数多くあります。

 

大正初期の「福岡神学校寄宿舎」絵葉書。のちの西南学院大学である。同絵葉書は同大学の依頼により提供、HPでも掲載紹介されている。

大正初期の「福岡神学校寄宿舎」絵葉書。のちの西南学院大学である。同絵葉書は同大学の依頼により提供、HPでも掲載紹介されている。

 

第1回交通記念絵葉書(明治38年)日露戦役勝利を伝える絵葉書を求めて東京・神田郵便局にできた長蛇の列を題材にした大ブーム時の絵葉書。

第1回交通記念絵葉書(明治38年)日露戦役勝利を伝える絵葉書を求めて東京・神田郵便局にできた長蛇の列を題材にした大ブーム時の絵葉書。

 

他の趣味が同好の人々が集まってサークルや研究会を行い楽しむのと同様に、絵葉書にも研究会があります。福岡には某鑑定テレビ番組の常連依頼人である平原健二氏が会長を務める「日本絵葉書研究会」があり、私は平成12年から参加。会員の皆様のコレクションを拝見し、交換会で見識を深めてきた訳ですが、絵葉書は写っている写真の価値を判断する場合に、知識や情報がなければ「大切な情報を見落とし、価値そのものに気づかない」事を知りました。

当初は単に「橋や路面電車の絵葉書が面白い、デザイン資料として広告絵葉書が面白い」という程度の認識でしたが、写っているものを理解するには歴史を学ぶことが不可欠と知り、それから福岡市の近代史に関する本を読みあさりました。結果として、戦前の世相風景を紹介する写真集や本に使われている写真の多くが絵葉書であることもわかりました。また、私は幸いに地図会社(ゼンリン)の出身でガイドマップや案内マップの制作経験があり、絵葉書の場所が今どうなっているのか、何処で写された写真かの判断で古地図を読み解く力を元々備えていたことも幸いし、100年前の写真の現状を定点で撮影する楽しさにも目覚めました。

その結果、絵葉書そのもので福岡の近代史を語ることができるかもしれないと思い、企画編纂したのが「ふくおか絵葉書浪漫(海鳥社・2004年刊行)」という本です。この本は多くの反響をいただき、刊行記念にアクロスふくおか(文化交流ギャラリー)で記念企画展を開催したのを皮切りに、講座や卓話の依頼もいただくようになりました。

 

福岡市の発展の起点となった路面電車(福博電気軌道)開通時(明治43年)の絵葉書。現在の川端通商店街の入り口付近の光景である。

福岡市の発展の起点となった路面電車(福博電気軌道)開通時(明治43年)の絵葉書。現在の川端通商店街の入り口付近の光景である。

 

その頃、ちょうど創業100周年を迎えつつあった西日本鉄道さんの古写真解読や資料収集を手伝う幸運に恵まれ、様々な分野の方々と交流する機会が増えて知識が増し、絵葉書の価値を知ることとなります。さらに「ふくおか絵葉書浪漫」がもとで人気テレビ番組(FBSナイトシャッフル)に記憶探偵シリーズというコーナーもでき、平成20年から25年まで6年間で35話が放送されて、絵葉書を活用するという付属的価値も知ることができました。

これら貴重な経験を通じて多くの方々から感想文や意見をいただき、絵葉書や古写真の価値に多面性があることを知ります。同じ写真でも、見ている場所は人それぞれの興味と記憶で違い、価値観も異なることを知った訳です。例えば、下の絵葉書は昭和11年頃、那珂川に架かる西大橋を中洲側からみたものですが、電車やバスの車両が好きな人は電車の形式や色に注力します。建物が好きな人は後方に見える旧大同生命ビルや物産館に目が行きます。私は橋が好きで完成したばかりの西大橋を行き交う人々、荷馬車や自転車、クラシックカーまで走っていることに興味を持ちます。この時代を文章でどんなに説明しても、一枚の絵葉書の情報量には敵いません。

 

架け替え竣工後の西大橋上の往来風景が写された西大橋の絵葉書(昭和11年頃)。左奥には同年秋に開店する岩田屋の建設工事と思われる柱なども見える。

架け替え竣工後の西大橋上の往来風景が写された西大橋の絵葉書(昭和11年頃)。左奥には同年秋に開店する岩田屋の建設工事と思われる柱なども見える。

 

また、絵葉書から「通説」が覆ることもあります。博物館のコラムをはじめ多くの本や写真集で「福岡市初の本格海水浴場」として紹介される百道海水浴場ですが、実は福岡市初ではありません。開設は大正7年、西日本新聞社の前身である福岡日日新聞が運営し戦後まで福岡一の人気海水浴場であったことは事実ですが、それより7年も前に「伊崎浦海水浴場」という潮湯など保養施設や演舞場、レストランまで備えた本格的な海水浴場が登場しています。

 

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明治末、伊崎浦海水浴場の絵葉書2点。下の絵葉書は保養施設(潮湯)の一部、明治43年に天神一帯で開催された共進会の接待所を移築したもの。

明治末、伊崎浦海水浴場の絵葉書2点。下の絵葉書は保養施設(潮湯)の一部、明治43年に天神一帯で開催された共進会の接待所を移築したもの。

 

運営は福博電気軌道、後に「電力の鬼」と呼ばれた松永安左衛門が沿線開発を目的に開設し、大正期の人気レジャー施設となりました。偶然にも同海水浴場の絵葉書数枚を所有しており、西日本鉄道百年史で調べて認識した次第です。さらに百道海水浴場以前に、福岡浜海水浴場(須崎裏、現在の長浜エリア)など複数の施設がありましたが、その多くは数年で閉鎖されています。

 

大正初期、須崎裏(福岡浜)海水浴場の絵葉書。海岸は昭和に入って埋立が進み海水浴場も姿を消した。

大正初期、須崎裏(福岡浜)海水浴場の絵葉書。海岸は昭和に入って埋立が進み海水浴場も姿を消した。

 

福岡市は今も昔も全国的に注目される市内観光資源に乏しく、明治後期以降の観光絵葉書にはその時代の最先端の都市景観が多数含まれているという特徴があります。京都や鎌倉など観光資源が多い都市は絵葉書に町並みがほとんど含まれません。神戸や横浜など明治から大正にかけて急成長した都市にも共通する「都市の発展ぶりが一番の観光名所」であり、電車通りを中心に時代ごとの最先端の町並み絵葉書が遺されました。

現在、多くの企業・商店は、写真や資料の多くを戦災で焼失したり戦後の混乱期に紛失しており、それらを補うものとして近年になって絵葉書が見直されてきました。この傾向はデジタル全盛時代の今、さらに続くと思われます。

次回は絵葉書を時系列に並べ、景観の変遷を読み解く具体的な活用方法について記します。

 




益田啓一郎


企画&執筆業の傍ら、古写真・アンティーク絵葉書や鳥瞰図絵師・吉田初三郎の研究など、景観や世相をテーマにした著作や写真集を多数編纂。昭和画像アーカイブ運営、NHK「ブラタモリ」など番組企画監修も多し。にしてつWebミュージアムの企画構成、博多カレンダー委員、博多祇園山笠西流五十周年史編纂委員ほか。