2016.4.11 景観計画をもってまちに出よう 
一本の線のこっちとあっち

 

今回は、山の辺・田園ゾーンに出かけました。
山の辺・田園ゾーンは、福岡市の市街化調整区域(※)にあたる地区で、のびやかな田園景観が広がっています。山の辺・田園ゾーンと市街地ゾーンの境界では、その線を境に景観もがらりと様相を変えます。 山の辺の素敵なコラムは、こちらを。

※市街化調整区域:農林漁業との調和や自然環境の保全などの観点から市街化を抑制すべき区域(福岡市都市計画マスタープラン用語解説より)

昭和30年代、わが国の経済の発展や産業構造の変化等に伴って、全国的に産業 と人口の都市への集中が激しくなり、広く都市化現象が進行しました。これに伴って、既存の大都市や地方の拠点都市の周辺における工場用地、住宅用地等の需要は膨大な量にのぼり、これによる地価の高騰等により、交通手段の改善とも相まって工場や住宅が都市の 周辺に拡大し、著しい土地利用の変貌をもたらす結果となりました。

特に大都市周辺部においては、この動きが著しく、工場や住宅の立地が地価の動向に引きまわされて、開発に適しない地域において、いわゆる「バラ建ち」のような単発的開発がわれました。そのため、農地、山林が蚕食的に宅地化されて無秩序に市街地が拡散し、道路も排水施設もない不良市街地が形成されるという「スプロール現象」を生じることなり、種々の弊害をもたらしました。
市街化調整区域は、そんな無秩序な市街化を抑制するために、昭和43年(1968年)に導入された制度です。
このとき引かれた「市街化調整区域」と「市街化区域」を区分した一本の線が、その後のまちづくりに大きな影響を与えることになります。

福岡のまちは、海と山に囲まれた都市構造により、海や空のターミナルも都心に近接し、150万都市としては都心域がまとまっているコンパクトシティといわれています。
山の辺・田園ゾーンは、そのコンパクトシティ福岡のまちを取り囲むエリアで、福岡市の南西部から西部につらなり、糸島へと田園地帯が続いています。「背景となる山並みや丘陵地等の緑地あるいは田園地帯の眺望を確保し、広がりのある景観の保全に務める。」を景観形成の作法とし、自然や農地との調和を大切にしています。

山の辺・田園ゾーンと市街地ゾーンの境界を空から見ると、市街地と田園がはっきりと分かれています。
都市計画の区域区分という制度で分けられた二つの都市空間です。
グーグルマップ(上)と都市計画閲覧システム(下)
map

スクリーンショット 2016-04-03 19.30.14

http://sonicweb-asp.jp/fukuoka/map?theme=th_3#scale=10000&theme=th_4&pos=130.23971741458058,33.575809970352594

 

図1

こっち側の山の辺・田園ゾーン(左側)とあっち側の市街地ゾーン(右側)の境界が、一目でわかります。

 

現地に立つと、低層戸建ての真新しい住宅が田園部と向き合っています。

 

 

山の辺・田園ゾーンの足元には、オオイヌノフグリや土筆などが季節の変わり目を伝えてくれています。市街地の中では、見つけることが少なくなってきた、自然が残っています。

山の辺・田園ゾーンの足元には、オオイヌノフグリや土筆などが季節の変わり目を伝えてくれています。市街地の中では、見つけることが少なくなってきた、自然が残っています。

 

IMG_9787

 

こんな安らぎを与えてくれる山の辺・田園ゾーンですが、市街地と田園を分けている一本の線。この線のこっち側とあっち側で、地域が抱える事情に大きな違いができています。
こっち側は、市街化調整区域なので新たな宅地開発が原則できません。そのため、新しい住民が暮らす場所を確保するのはなかなか難しい状況で、人口も増えません。かつて、無秩序な開発から守ろうとした農地も後継者不足から、耕作放棄地になる場所も少なくありません。人口増加日本一の福岡市の中で、この一本の線を境に、こっち側は、少子高齢化にともなう人口減少が急速に進んでいます。

あっち側の小学校は、児童数1,000人のマンモス校、こっち側の児童数は、100人維持できるかが深刻な問題に。さらに、コミュニティの維持すら難しい状況が生じています。あっち側には、人口増加で活気がある景観、こっち側は、人影もまばら、空き家が目立ちはじめている景観と対照的です。同じ田園部の景観を見ているようでも、あっち側の人たちが見ている景観と、こっち側に暮らす人たちが見ている景観には、その捉え方に大きく意味が違うもののようです。

少し話が変わりますが、私の中で「景観」という言葉は、昭和50年代後半、「都市デザイン」という考え方から始まります。都市の歴史文化、人々の暮らし、人々の感性をベースに、都市の骨格(ストラクチャープラン)をつくり、それを基に行政内の各部署が相互調整を図りながら、都市の個性を作っていきました。都市デザインは、多くの都市で、「景観形成」という言葉に引き継がれていったように記憶しています。さらに景観形成とまちづくりが、ほぼ同義語として捉えられていました。
例えば、「障害のある人が、いきいきとまちで活動している景観形成」という方針に基づき、一見景観とは直接関係のないような福祉部局が建設部局と連携し、バリアフリーのまちづくり計画を策定し、道路や建物から段差をなくしていきました。今では、あたりまえの話ですが。
「景観形成」という言葉で、様々な部署を巻き込みながら、まちづくりをしていきました。
「景観形成」は、まさに、まちづくりの伝家の宝刀でした。

山の辺・田園ゾーンで起こっていることは、こっち側とあっち側といった、線を挟んだ180°向き合う関係ではなかなか解決できません。こっち側とあっち側で一緒にといった360°手をつなぐ関係が必要ではないでしょうか?
山の辺・田園ゾーンの景観が、すべての市民にとって誇れるものとして後世に引き継いでいくためには、田園部に暮らす人、都市部に暮らす人、そして行政サイドも住宅都市、農林水産、こども、環境などの各部局の連携・共働が必要ではないかと思います。
その時「景観」が、再び「伝家の宝刀」になったらいいなと。




矢舖雅史


広島県の瀬戸内海に浮かぶ島に祖を持つ。東京で都市計画コンサルタントに勤務し、様々なマスタープランの策定に関わる。福岡市に異動後、市民参加のまちづくりを経験し、現在は、ボランティアセンターの職員として勤務。